今回は【30代と40代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉です。人生に飽きたと思うのは異常ではありません。きっと真剣に「生きる」と向き合ったからこそあなたは「飽き」を感じているのだと思います。こんな言葉があります。「自分だけのものと考えているなら命に価値はない」人間、生命の欲求そのまま忠実に生きようとすると、知らず知らずのうちに、無自覚ながら虚しさが沸く。もしかすると情動に突き動かされて生きてきたのかもしれません。立ち止まって考えるのも悪いことではありません。ただ、いきなり人生について考えろと言われても難しいですよね。考える材料になるかもしれない言葉たちを受け取ってください。
「飽きる」とは、「同じことの繰り返しでいやになる、退屈する」という意味の言葉です。
目次
- 1 人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 < 【30代と40代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉編>
- 1.1 ナナメの夕暮れ(若林正恭)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.2 ご本出しときますねの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.3 ひろゆきの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.4 孤独を楽しむ力の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.5 悪魔とのおしゃべり(さとうみつろう)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.6 仕事は楽しいかね?の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.7 考える練習帳(細谷功)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.8 人生ドラクエ化マニュアルの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.9 バガボンドの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.10 サルトルの教え(堤久美子)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
- 1.11 暇と退屈の倫理学(國分功一郎)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 < 【30代と40代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉編>
ナナメの夕暮れ(若林正恭)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
ナナメの夕暮れの名言/格言
他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると自分の正解がだんだんわからなくなる
ナナメの夕暮れの名言/格言
理想の自分に追いつこうとしているから今日の自分を生きることはなく、常に未来の理想化された自分をいきている。だから今を楽しく生きられなかったんだ。
ナナメの夕暮れの名言/格言
今日の自分は本当の自分じゃない。自分というものはもっと高尚な人間なんだと言い訳をして今日の自分をないがしろにしてきた
ナナメの夕暮れの名言/格言
熱くて危なくて一瞬で。ワクワクするためには安全すぎないことといつ来るかわからないことを引き受けなければならない。
ナナメの夕暮れの名言/格言
自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が他人への否定的な目線をやめるしかない。
ナナメの夕暮れの名言/格言
誰とでも合う自分じゃないからこそ、本当に心の底から合う人に会えることの喜びと奇跡を深く感じれた
ナナメの夕暮れの名言/格言
天に伸びる錆び付いた梯子を登っている。上には理想の自分がいてなんとか追いつこうとしている。理想の自分は等身大の自分の上昇と共にさらに上昇する。だから追いつかないどころか差はどんどん開く。下を見る。転落したら確実に死ぬ高さだ。常に怯えている、それなのに梯子のたもとを顔も知らない誰かが蹴り続けている。
ナナメの夕暮れの名言/格言
10代からずっとバーベキューとかハロウィンとかに対して、ナナメ目線だったんですね。でもおじさんになると、ナナメが通用しなくなるんですよ。
ナナメの夕暮れの名言/格言
自意識過剰とか他者の目から見てイケてるのかイケてないのか怖いという感覚が、おじさんになるとなくなるから、中学生みたいに本当に楽しいことにドンっといくんです。
ナナメの夕暮れの名言/格言
1回、何年ぶりかに外出許可が出たことがあって、むちゃくちゃうれしそうに本持ってファミレスに行ったんですよ。ファミレスで本読むことってこんなにうれしいことなのかと思ったときに、趣味とか生活にハリがでるものがないとやっぱりキツイなと思って。
ナナメの夕暮れの名言/格言
今まで本当に自意識過剰で下駄履いてやってきたんだなと驚いてます。でもそうやるしかなかったなというのもありますが。なので、他人の目を感じないで、素直に自分の好きなことをやっていこうと思います
ナナメの夕暮れの名言/格言
バカにされながら楽しむという道があると思っていなかったんで戸惑って驚きましたが、楽しみでしょうがないんですよね
ナナメの夕暮れの名言/格言
やってみたら、なんでも面白いなっていう。否定するとやり始めないし、やってる人をディスっていると自分がその立場になれないじゃないですか。それは毎日を合理的に楽しむってことに対して、ちょっと邪魔だなと。狭めちゃうというか。
ナナメの夕暮れの名言/格言
そのとき、物事をナナメに見るのって“竜宮城”で、ナナメに見ていたりカッコつけていたりしたら、人生ってすぐに終わっちゃうなって。そう思ったのと、2人の生き方がすごい好きで。自分にもっと正直に、楽しいことは楽しんでやろうって。
ナナメの夕暮れの名言/格言
俺の生きがいって、たぶん同い年の男ともだちと誰かの悪口を言うことだな、と。新橋の居酒屋でグチを言えないんだと思ったら、飽きちゃって。
ナナメの夕暮れの名言/格言
もう間もなく、マウンティングはダサいことになると思うんですよ。どんだけ自分が没頭できるものを持っているかということが大事な時代に、そろそろなってくる気がしています。
ナナメの夕暮れの名言/格言
ベースがないまま、誰が正しい、何が正しいってマウンティングが盛り上がっちゃった。信仰心も薄い国で、考えの芯になるものが未だにないから、生きていていつも大変だと思うんですよ。自分の意志だけを信じて生きていくって、まぁ難しいですからね。
ナナメの夕暮れの名言/格言
芯となるものはこれだと提示する、意志の力が大事なんだってビジネス書や自己啓発書が売れてますけど、書いているのは『ぶっとんだ人』ですよね。それってごく一部の成功者だからできることで
自分ひとりの物事の捉え方や価値観ってそれぞれ違うのに、『あなたにもやりたいことがあるはず!』って、決まった成功の仕方を示そうとする番組もよくある。けど、『いや、本当にそうかな』って疑問に思うことも多くて。
ご本出しときますねの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
ご本出しときますねの名言/格言
好きなものって限りがあるから、嫌いなもの興味のないもののなかからしか次の好きなものは生まれない
ご本出しときますねの名言/格言
一回の失敗でその人の努力を全部なしにすんなよって思う
ご本出しときますねの名言/格言
例えば全力で走ったって書いたら全力で走れない人を傷つけているかもしれない
傷つけないのは無理だから、そこに無自覚でいたくない
ひろゆきの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
ひろゆきの名言
お金で買えるものでは大して人生を変えられない
ひろゆきの名言
人はなぜ生きるのかという問いの答えは、死ぬまでにできるだけ楽しく幸せに暮らすため
ひろゆきの名言
じゃあ死ぬまでにできるだけ楽しく暮らす方がいいなと思うことができる。幸せの総量を増やすことを目標にすればいいのだ。
ひろゆきの名言
生きていく限り、つねに比較対象に晒される。でも、比較対象がない方が人は幸せなんじゃないか。
ひろゆきの名言
やる気という言葉はやる気のない人間によって創作された虚構
ひろゆきの名言
環境と遺伝子の現実を知った上で、自分のできないことを受け入れながら、ちょっとだけ考え方を変えるだけで幸せになれる人もいる
ひろゆきの名言
物を手に入れると言うことは、その後のメンテナンスを引き受けるということだ。そう考えると物がないことも豊かさだと捉えることができる。
ひろゆきの名言
大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とないということなんだ。自分にとっての大きな岩はなんだろう?
仕事なんてものは、僕にとって砂利や砂や水にすぎない。それらを先にツボにいれてしまうと、どうしたって睡眠を削らなくてはいけない。そんな人生は死んでもイヤだ。
人生の壺にいれる大きな岩に睡眠を選んだということは、サラリーマン生活ができないということだ。
ひろゆきの名言
他の誰でもないこの自分が困るのだから自分でやる。喜んでいる人の笑顔がみたい、社会の役に立ちたい、こんなものは全て後付けだ。
ひろゆきの名言
1人が生き残り、99人が死んだとしたら、その1人の声は残るが、残りの99人の声なき声は語られることがない。その1人の語りが、残りの99人の代弁者になりえてしまう。錯覚が生まれるのだ。
ひろゆきの名言
海外で人々の暮らしを見て、人と話をしても、やはり毎回思うことは同じで「一生懸命に生きなくても大丈夫」という結論に落ち着く。
ひろゆきの名言
「なぜこんなにもよくしてくれるんですか?」そう聞くと、「世界中からお客さんがきて欲しいから、来た人が『ミャンマーはいい国だ』と思ってくれた方がいい。ミャンマーが良くなるためにやっている」と言った。
ひろゆきの名言
人生において全てのものがあなたにとって必要とは限らない。卵を置くためだけのエッグスタンドが本当は不必要であるように、豊かであるように見せているだけのモノを見破れるようにしよう。
ひろゆきの名言
「相手を好きになるかどうか」って自分のなかで完結する話じゃないですか。「この人を好きになると思い込んで、一日演技してみよう」って思えれば、その日からでも実践できますよね。
他人を変えようとする人が多いですけど、他人を変えるより自分を変える方が絶対にラクですからね。
ひろゆきの名言
「自分の人生の意味」みたいな、立志伝中の人のようなことを考えるから苦しくなるんです。人生に壮大な目的があって、一生をかけて達成している人はめちゃくちゃ数が少ないから物語になっているんですよ。
ひろゆきの名言
「毎日普通に楽しく飯食ってます」って人がニュースに出てこないのは、世の中の大多数がそういう人生を歩んでいるから。
ひろゆきの名言
「犬が人を噛むとニュースにならないけど、人が犬を噛むとニュースになる」という言葉があって、ニュースになるのはすべて不自然で滅多にない出来事です。
その不自然なニュースだけを見て、「自分もこんなふうに頑張って生きるべきなんだ!」って考えるのは「誤解」なんじゃないですか?
ひろゆきの名言
結局、まわりの目を気にして幸せになれることなんてないし、「自分が何をして生きていきたいか」ということにしか答えがないと思うんです。
ひろゆきの名言
「働きたい」なら働けばいいし、働くことで辛くなるなら、まわりの目を気にせずに働かないという選択肢をとるのが、人として当たり前の気がするんですよね。
ひろゆきの名言
大学生のころって、みんな月3万円くらいのお小遣いで楽しく生活してませんでした?それだけあれば、人って本来楽しく暮らせるはずなんですよ。だから僕は、「自分は何が楽しいのか」ということを突き詰めて考えるべきだと思います
孤独を楽しむ力の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
孤独を楽しむ力の名言/格言
思考・人間関係・夢・目標、本当に大切なものは、ひとりで見つける。
孤独を楽しむ力の名言/格言
じっとその感情を否定しないで味わう。ああ自分は辛いんだ、自分はくるしんでいるんだと、その感情を否定しないで味わう
孤独を楽しむ力の名言/格言
人を憎んでもいい、嫌いな人がいてもいい、と自分を受け入れると何かの心の束縛から解放された気分になる
孤独を楽しむ力の名言/格言
こうならなくちゃという枷をはずし、自分の本音はこういってるなーと敏感に察知する
孤独を楽しむ力の名言/格言
合理性が高ければ、どんなこだわりも即座に捨て去ることができるのは、私の長所のひとつ
孤独を楽しむ力の名言/格言
自分の方向性や生き方を決めてきた過去を振り返ることで、自分の思考パターンの癖を客観的に観察することができる
孤独を楽しむ力の名言/格言
なんでわかってくれないのという不満を感じたときはそういえば自分はわかってもらうために具体的にどんな努力をどのぐらいしただろうか
悪魔とのおしゃべり(さとうみつろう)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
何かがないと何者かじゃないと、私は幸せでいられないと勘違いしている
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
自分が今の私であることにこだわるな。その正しさを超えた時あなたは何者にでもなれるようになる
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
ないと思っているから手に入れようとする。あると気づいている人は手に入れようとしない
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
幸せになろうとしている奴らほど、幸せではないじゃないか
得ようとせず、もう十分に得ていると気づく態度だ
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
苦しみの正しい楽しみ方は苦しむこと。悲しみの正しい楽しみ方は悲しむこと。
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
この幻想から抜け出すには、今いる場所がどこであれそこを楽しむ
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
切り替え上手な人間だったと10回も唱えれば自分が切り替え上手だったという証拠がみつかる
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
自分にはコントロールできないくらいの小さなズレの積み重ねが世界をつくっている
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
そこまでの行動すべてが必要だったわけだから昨日のハズレにさえも感謝できるようになる
悪魔とのおしゃべりの名言/格言
正しさが人間の可能性をつぶす。正しいとはそれ以外のことを全て信じないという宣言
仕事は楽しいかね?の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
仕事は楽しいかね?の名言
人生とは1つのくだらないことが何度も繰り返されていく。
仕事は楽しいかね?の名言
人生はそんなに規則正しいものじゃない。規則から外れたところでいろんな教訓を与えてくれる。
仕事は楽しいかね?の名言
できることはどんどん変えてごらん。みんなが変えていることに気がつくくらいに何でも変えるんだ。好奇心を旺盛にすること。実験好きだと評判になったらみんなの方からアイデアを持ってきてくれる。
仕事は楽しいかね?の名言
適切な時とか完璧な機会なんてものはない。
仕事は楽しいかね?の名言
君は最初に陸に上がった魚は長期にわたる目標を持っていたかと思うかね。
仕事は楽しいかね?の名言
新しいアイデアとは新しい場所に置かれた古いアイデア何だ。
仕事は楽しいかね?の名言
〝退屈〟と〝不安〟という双子だ。きみは、この二つは、同時には生じないと思うだろう。だけど、違う。人々は、したくもない仕事をし、同時にそれを失うことを恐れているんだ
仕事は楽しいかね?の名言
〝明日は今日と違う自分になる〟だよ。
仕事は楽しいかね?の名言
〝遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る〟
仕事は楽しいかね?の名言
いろんな情報を得て、それから買うことにしたんじゃない。まず買おうと決めて、それからいろんな情報を得たんだ。これでいいや、と思ってね。あんまり整然とはしていない。論理的でもない。
仕事は楽しいかね?の名言
さらに悪いことには、模範的な人に話を聞くと、彼らは往々にして自分の歩んできた道のりを整然と語って、プロフェッショナルとはかくあるべき、みたいに思わせてしまうんだ
仕事は楽しいかね?の名言
『小説を書くためのルールは三つある。残念ながら、どんなルールなのかはだれも知らない』
仕事は楽しいかね?の名言
小説を研究しても小説家になれないように、成功を研究しても成功は手に入らないという問題が。みんな、成功した人の右に倣えをしようとするけど
仕事は楽しいかね?の名言
成功するというのはね、右に倣えをしないっていうことなんだ。 こう表現しておこう。ピカソの絵の写真を切り抜いてコピー機にかけても、ピカソにはなれない
仕事は楽しいかね?の名言
彼らはね、他人を凌駕する人材になろうとしているけど、 それを他人と同じような人間になることで 達成しようとしているんだ。
考える練習帳(細谷功)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
考える練習帳の名言/格言
「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深い。
考える練習帳の名言/格言
基本が大事という当たり前のことを聞いた場合でも、達人ほど「その通りだけどそれができないんだよな・・」という反応になる。
考える練習帳の名言/格言
常識や既成概念にとらわれている人の最大かつ根本的要因は、とらわれていることに気づかないことにある。
考える練習帳の名言/格言
いかに自分が相手のことをわかっていないか。について自覚することはほとんどない。
考える練習帳の名言/格言
一人前になって常識を身につけた代償として、新しい変化に抵抗を示すようになる
考える練習帳の名言/格言
常識という言葉が使われる場合の多くは、「なぜそうなのかを自分の言葉で説明できない」時の逃げ場として使われている。
考える練習帳の名言/格言
知識の世界の価値観に染まっていると、正解があるという前提で「それは正しいか否か」という観点で判断をしがちである
考える練習帳の名言/格言
思考の世界では絶対的な正解も、不正解もなく全てがグレーで、全ては「前提条件次第」という発想になる。
考える練習帳の名言/格言
なぜそれが必要か?と自問自答した時の答えが、「昔からそうだから」とか「みんなが気にするから」「常識だから」といった理由の場合、それは実は変えられることがほとんど
考える練習帳の名言/格言
数十年変わってなさそうなものを見つけてどのように変えられるか考えてみる。
考える練習帳の名言/格言
「決められた土俵でいかに戦うか」というのが「いかにうまく並ぶか」ということで「土俵をいかに変えて戦わないようにするか?」が「並ばない方法を考える」ということ
考える練習帳の名言/格言
やることによるリスクはよく考えるが、「やらないことによるリスク」を考える人は少ない。
現状維持のリスクを考える人は少ない。
考える練習帳の名言/格言
依存症の最たる特徴は徐々に人を物に置き換えていくこと
考える練習帳の名言/格言
相手を変えようとするのでなく、相手を理解できないのはなぜかと考えて自らの視野を広げる
人生ドラクエ化マニュアルの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
ゲームの3大構成要素とは1目的 2ルール 3敵
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
自分に何ができるかは自分以外のものにはわからない。いや自分でもやってみるまでわからないものだ
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
自分がゲーム目的として設定すべきものは、出会った瞬間理屈抜きでこれだとわかる
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
ドラクエで「モンスター」に当たるのは「目標達成を阻もうとする人たち」現実世界では必ずしも落ち込む要因となるものが、ドラクエの世界では必ずしもそうではない。
人生をゲーム化するには、人生に登場してくる敵をドラクエのモンスターやパズルに見立て、その敵との戦いを楽しめばいい
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
ゲーム目的を設定した瞬間、敵が自動生成された。
自分の人生ゲームを楽しくしてくれるためにわざわざ悪役をかってくれる愛しい存在に。そしてその敵をを倒した時、想像を絶する喜びを得られる予感がしないか。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
私は失敗したことがない。ただ一万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
ゲームは敵がいなくなるとつまらなくなる。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
関心のあることや、思いついたことを片っ端からから手を出してみてほしい。実際に手を出してみることによって、初めてその関心ごとや思いついたことに自分がどれだけのめり込むことができるかわかってくる。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
目的地がなかなか見つからないと嘆くのではなく、今正に目的地探しゲームの真っ最中と考える
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
見栄世間体などというものは自分の妄想、自意識過剰の産物以外の何物でもないのだ。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
いとも簡単に倒せる敵との闘いは、単なる作業となり、面白くないからだ。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
目的を達成できている人達を観察していると、いくつかの共通点が見えてくる。そのうちの一つが「今すぐできることを今すぐ実行」なのだ。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
仕事プライベート分けずに行う行動を全てリスト化し分類。その上で同時に行うことができる仕事を探して重ねていった。
人生ドラクエ化マニュアルの名言/格言
不運に見える出来事の、好運な側面に気づけると、そこにはいろんなチャンスが潜んでいることが多い。
バガボンドの【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
バガボンド名言
闇を知らぬものに光もまたない、と思うぞ。闇を抱えて生きろ。
バガボンド名言
海を泳いでいる最中には 海の広さはわからんよ
バガボンド名言
愚直は美徳ではない
バガボンド名言
弱さを経ていない強さはないでしょう。
バガボンド名言
心を開いて受け止めるなら...この世の全ては美しくてもともと...
バガボンド名言
この世に強い人なんておらん,強くあろうとする人
おるのはそれだけ
バガボンド名言
認めてしまえありのままのお前を,修行はそこからだ
バガボンド名言
強い人は皆優しい
バガボンド名言
過去は過去,今日のお前は今日つくるんだよ
バガボンド名言
弱さを経ていない強さはないでしょう?
バガボンド名言
描けば描くほど、進めば進むほど、見えてくるのは足りないものだったりする。
バガボンド名言
みんな同じなら見えないのに異質なものがいると浮かび上がってしまう。だから追い出そうとして、それができないとわかると、嘲笑い下に見て線引きして隔てる
バガボンド名言
自分だけのものと考えているなら命に価値はない
バガボンド名言
分を超えて受け取って、良いことはない
バガボンド名言
負けた者だって人間だぞ。どこかで自分を肯定しなくては生きていけねえ。
バガボンド名言
ただ真っ直ぐに一本の道を進むのは美しい。じゃが普通はそうもいかぬもの。 迷い、間違い、回り道もする。それでええ。
バガボンド名言
振り返って御覧。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、迷いに迷ったそなたの道はきっと誰よりも広がっとる。道が広がった分、おぬしは誰よりも人に優しくできる。
バガボンド名言
弱い者は己を弱いとは言わん。おぬしはもう弱い者じゃない。強くあろうとする者。
バガボンド名言
心が凝り固まっていては見えないものも、力を抜いて素直に見るといろんな顔が現れてくるでしょ。心を開いて受け止めるなら、この世のすべては美しくてもともと。
バガボンド名言
負け犬は負けを抱えてそれでも生きていくんだ。
バガボンド名言
殺し合いの螺旋から、俺は降りる
サルトルの教え(堤久美子)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
サルトルの教えの名言/格言
人は何かが起きたときに、物事を一つのこととして見てしまいがちです。本当は実際に起きた事実と、それに対する解釈がある。
サルトルの教えの名言/格言
あげたものを本人が気にいるか、気に入らないか、それはあなたが関係することではない。
サルトルの教えの名言/格言
在りたいあなたから現実のあなたを引くと、ギャップが明らかになり、あなたがやるべきことがわかってきます。
サルトルの教えの名言/格言
1.2回起きただけのことを、まるでそれが全てであるかのように考えないことです。
サルトルの教えの名言/格言
あなたが言葉にすることで、無意識が刺激されて意識化されますから、あなた自身、本来自分がやりだとたかったことに気づくようになります
サルトルの教えの名言/格言
職場や周囲に問題が起きている場合、その原因を他人に求めるのではなく、まず自分を疑ってみることです。
サルトルの教えの名言/格言
自分を欺いて選択すると、結果を人のせいにする
サルトルの教えの名言/格言
自分を欺く事を自己欺瞞といいます。あなたが自分に誠実に選ぶのでなく、自己欺瞞の中で何かを選ぶと、他者に責任を押し付けることにつながります。
サルトルの教えの名言/格言
私は誰かは自分で作れるということです。人間は何であるかが明らかになる前に存在してしまっています。つまり人間は既に存在している事実が先行していて、あとから自らの決断によって本質を作り上げていかねばならないのです。
サルトルの教えの名言/格言
存在を決めて行動する。やがて成果をてにいれる。
サルトルの教えの名言/格言
人間は目的を前へと投げ出し、それを追い、乗り越えることで生きていきます。
サルトルの教えの名言/格言
つまり、自由になったらなったで不安が増えていく。人は自由の刑に処されているともいえる
決められたレールの上を歩くのは、ある意味楽です。
明日、あるいは次の瞬間、どんなことがあるかわからない。そんな中で、自分が誰として生きるかは自由です。
人間は今に生きていることこそが重要なんです
暇と退屈の倫理学(國分功一郎)の【30代、人生に飽きた人に送る】名言/言葉
暇と退屈の倫理学の名言/格言
私の好きなことは、生産者が生産者の都合の良いように、広告やその他の手段によって作り出されているのかもしれない。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
そもそも私たちは、余裕を得た暁に叶えたい何かなど持っていたのか。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのかわからない。何が楽しいのかわからない。自分の好きなことが何んなのかわからない。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとして入ればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。
人間は退屈に耐えられないから気晴らしを求めているに過ぎないというのに、自分が追い求めるものの中に本当に幸福があると思い込んでいる。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
うさぎ狩りに行く人はうさぎが欲しいのではないからだ。人は獲物が欲しいのではない。退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、ひいては、みじめな人間の運命から眼をそらしたいから、狩りに行くのである。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
人間は欲望の対象と欲望の原因を取りちがえる。ウサギが欲しいからウサギ狩りに行くのだと思い込む。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
気晴らしには熱中することが必要だ。熱中し、自分の目指しているものを手に入れさえすれば自分は幸福になれると思い込んで、「自分を騙す必要があるのである」
暇と退屈の倫理学の名言/格言
つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、なかなかウサギに出会えないなどと言った負の要素がなければならない。
負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷と言ってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。
ならば次のようにいうことができるはずだ。退屈する人間は苦しみや負荷を求める、と。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
つまり、パスカルのいうみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみを求める人間のことに他ならない。
自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
動物は、健康で、食べるものが十分にある限り幸福である。人間も当然そうだと思われるのだが、現代世界はそうではない。
満たされているのだが、満たされていない。近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
飢餓や貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。あるいはそれがわかっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかがわからない。だからこそ逃れようにも逃れられない。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
一言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。
退屈している人間が求めているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。興奮できればいい。だから今日を昨日から区別してくれる事件の内容は、不幸であっても構わないのである。
ラッセルによれば、幸福には二種類ある。一方の幸福はどんな人間にも得られるものであり、他方は読み書きのできる人間にしか得られないものなのだ。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
幸福であるとは熱意を持った生活を送れることだ。
幸福の秘訣は、こういう事だ。あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そして、あなたの興味をひく人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できる限り有効的なものにせよ。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
もしも、これから新しい世界を作れるか否かという外的な条件が人の幸福を決定するのであれば、ヨーロッパの青年たちはどうすれば良いだろうか。彼らが不幸に陥るのは仕方がない事なのだろうか。
熱意を持って取り組むべきミッションを外側から与えられる事、それを幸福と言って良いのだろうか?熱意さえ持てればいいのだろうか。
ラッセルは、本物の熱意とは、忘却を求めない熱意であるとも述べている。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
労働者を使って暴利を貪りたいのであれば、実は労働者に無理を強いることは不都合なのだ。労働者に適度に余暇を与え、最高の状態で働かせること。資本にとっては実はこれが最も都合が良いのだ。
余暇は資本の論理の中にガッチリと組み込まれている。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
技術革新が半年に一回も起こるわけがない。要するに、必要のないモデルチェンジを企業も強いられているのである。
なぜモデルチェンジしなければ買わないし、モデルチェンジすれば買うのか?「モデル」そのものを見ていないからである。モデルチェンジによって退屈をしのぎ、気晴らしを与えられることに慣れきっているからである。
私たちは実際に「チェンジ」しているかどうかではなく、「チェンジした」という情報そのものを消費する。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
したがってこうなる。必要の限界を超えて支出が行われるときに、人は贅沢を感じる。ならば人は豊かに生きるためには、贅沢がなければならない。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
広告は消費者の「個性」を煽り、消費者が消費によって「個性的」になることを求める。消費者は「個性的」でなければならないという強迫観念を抱く。
問題はそこで追求される「個性」が一体なんなのか誰にもわからないということである。したがって、「個性」は決して完成しない。つまり、消費によって「個性」を追い求めるとき、人が満足に到達することがない。
到達点がないにもかかわらず、どこかに到達することが求めらる。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールしなければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇という時間なのだ。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
趣味はそもそもは「どういうものに美しさや面白さを感じるかというその人の感覚のあり方」を意味していた。これが転じて「個人が楽しみとしている事柄」を指すようになった。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
消費者が何かを必要としているという事実が最初にあり、それを生産者が感知してモノを生産する、これこそが経済の基礎であると考えられていたわけだ。
高度消費社会においては、供給が需要に先行している。いや、それどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それをかわせるようにしている、と。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
資本主義によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使って良いのからわからない。何が楽しいのかわからない。自分の好きなことが何なのかわからない。
そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、帰省の楽しみ、産業に都合の良い楽しみを人々に提供する。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
「豊かな社会」を手に入れた今、私たちは日々の労働以外の何に向かっているのか?結局、文化産業が提供してくれた「楽しみ」に向かっているだけではないのか?
暇と退屈の倫理学の名言/格言
生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうした中に生きている時、人は「打ち込む」こと「没頭する」ことを渇望する。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
つまりウサギは、ウサギ狩りにおける「欲望の対象」ではあるけども、その「欲望の原因」ではない。それにもかかわらず、狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
楽しむことは思考することにつながるということである。なぜなら、楽しむことも思考することも、どちらも受け取ることであるからだ。人は楽しみを知っている時、思考に対して開かれている。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
賭け事をやらないという条件付きで、毎朝、彼が1日に儲けられる分だけの金を彼にやってみたまえ。そうすれば、君は彼を不幸にすることになる。
彼が欲しているのは、「不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らわせてくれる騒ぎ」なのだから。つまりウサギは、ウサギ狩りに置ける<欲望の対象>ではあるけれども、その<欲望の原因>ではない。
狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。つまり<欲望の対象>を<欲望の原因>と取り違える。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
多かれ少なかれ平等が達成されると、今度は再び不平等が求められたわけだ。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
長いこと歩いて疲れるのを避けるために自動車に乗る。だが、退屈すると、あるいは退屈を避けるためであれば、人はわざわざ負荷や苦しみを求める。苦労して山を歩き、汗びっしょりになって「それをやろうと言われも欲しくない」ウサギを追い求める。
現代人の不幸、すなわち「食と住を確保できるだけの収入」と「日常の身体活動ができるほどの健康」を持ち合わせている人たちを襲っている日常的な不幸である、とラッセルは言う。
暇と退屈の倫理学の名言/格言
重要なのは、一見労働者をおもんぱかっているように見えるフォーディズム的労働管理は、その名の通り、新しい型の管理にもとづいているということ、そして、その管理は余暇を取り込む形で形成されているということである。
「仕事が充実するべきだ」という主張は、仕事においてこそ人は充実していなければならないという強迫観念を生む。