今回は「視点という教養 世界の見方が変わる7つの対話(深井龍之介/野村高文)」の名言/格言です。現代の世は知識を持ってして評価する傾向があります。しかし、知識というのは前提の上に載る非常に表層的なものです。知識がいらないとは言いませんが、変わりゆくこの世界ではどこからそれをみるかという「視点」を多く持つことのほうが大事なのかもしれません。
ビジネス・プライベート問わず様々な選択肢があるがゆえに、
迷いや嫉妬が生まれる現代に、
「世の中をあらゆる視点から捉えることができ、自ら選択できる能力」
を身につけるためヒントとなる教養(リベラルアーツ)。
物理学・文化人類学・仏教学・歴史学・宗教学・教育学・脳科学、
各学問のトップランナーとの対話から、思考OSをアップデートするための
さまざまな視点を獲得せよ。【著者コメント】
深井 龍之介:
「a scope ~リベラルアーツで世界を視る目が変わる~」は、各分野の研究者の方々のご協力なしでは生まれなかった番組です。心より感謝申し上げます。「教養がある」というと、知識をたくさん知っているというイメージがありますが、本書で伝えていることはそれとは異なります。様々な学問の視点を知り、あらゆる角度から社会を見ることで、多面性があることを理解する。さらに、視点を増やすことによって人生の選択肢を増やし、自分自身が納得する決断ができるようになるのが、教養=リベラルアーツの特徴です。僕自身、ゲストの方々から新しい視点をたくさん獲得することができました。本書を通じて、皆さんが人生を主体的に生きていくためのエッセンスをお伝えできれば嬉しいです。野村 高文:
現代社会を生きる私たちは、どうしても社会が規定する「ものの見方」にとらわれがちです。しかし各学問の視点で世界を見ると、自分たちが持っている視点は数ある中の一つに過ぎず、世界は想像を遥かに超えて多様であることがわかります。本書では研究者の方々と深井さんの対話を通じて、私たちが生きるこの世界を捉え直し、知らず知らずのうちにとらわれている常識や価値観を相対化することを目指します。私は「へえ〜、すごいですね! 」と横で頷いていただけですが(笑)、研究者の方と深井さんが起こす化学反応が、読者の皆さまに伝わればいいなと思います。Podcastを聴いてくださった方も、そうでない方も、ぜひ一度手にとっていただけますと嬉しいです。
目次
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 < 視点という教養 世界の見方が変わる7つの対話(深井龍之介/野村高文)編>
視点という教養 世界の見方が変わる7つの対話(深井龍之介/野村高文)の名言/格言
視点という教養の名言/格言
1つの視点からだけでなく、あらゆる視点から社会と自分の人生を見ることで、物事には多面性があることを認識できるからです。
視点という教養の名言/格言
出口治明さんは、人間の学びには「人・本・旅」が大事だと言っていて、僕もまさにそうだと思っています。人に会い、本を読み、旅をする。
視点という教養の名言/格言
マーケターがある人を見て「理解した」と思うのは、「30代・女性・子供あり」というふうに属性を分類したとき
視点という教養の名言/格言
真実とは泥の中に埋まっているボールみたいなもので、それを取り出すにはいろんな方以降からのアプローチがある、というのが僕のイメージです。どの方向から行っても、泥を突き抜けさえすればボールはある。
視点という教養の名言/格言
物理学では1つの真実があるとしたら、実は5種類ほどの導出の仕方があるんです。
視点という教養の名言/格言
社会科学で天才と言われる学者たちも、直感で思いついたようなことを言います。積み上げ方式の思考法では、どうやっても出てこないだろう、というようなことを。今の社会の理解とは程遠いことを先に言って、後から理論的に補足していく思考方法を感じるんです。
視点という教養の名言/格言
物理学者の人たちは、自分の中に数式や理論をビッグデータ並みに蓄積して、その上で直感を駆使しているんだとわかりました。
視点という教養の名言/格言
もし超電導物質でできた抵抗ゼロの電線が実現すれば、必要なエネルギーは約半分で済むんですから、エネルギー問題は大幅に改善されます。
視点という教養の名言/格言
「量子インターネット」量子的な振る舞いは壊れやすいと言いましたが、その性質を活用し、情報を盗もうとすると壊れてしまうインターネットです。「壊れてしまうから盗めない」発想にするのです。
視点という教養の名言/格言
期待通りの結果を得るのはなかなか難しいけれど、逆にさほど期待せずにいたら、いきなり世の中の前提が変わってしまうことがあるのも、科学の醍醐味であり、恐ろしさでもあります。
視点という教養の名言/格言
北川さんにとっては、学問もビジネスも、真理追求という同じ行為なんでしょうね。アプローチの方法が違うだけで。
視点という教養の名言/格言
役立てるための手段にすると、その瞬間からリベラルアーツではなくなってしまう。「どういう観点でものごとを見るか」なので、手段の1つ前の段階のものなんですよね。だから、「どう使うか」から離れ続けることも、すごく大事です。
視点という教養の名言/格言
学問分野によって「理解する」の意味が異なることも、とても興味深かったです。数学は分類できたら、物理学の場合は予測できたら、そして工学では実装できたら「理解できた」と考えるとのことでした。
視点という教養の名言/格言
1つのものに1つの値段がつく「一物一価」は、われわれにとっては当たり前ですが、世界にはそれが常識でじゃない国や地域もたくさんあるということですね。
視点という教養の名言/格言
欧米から見ると日本の会議は「承諾の場」で、議論がなされていないことがストレスフル。逆に日本側から見ると、上司も部下も関係なく議論をする欧米の会議は、必ずしも上司の意見が尊重されるわけではないので、それがストレスだったりする。
視点という教養の名言/格言
文化人類学は「会議とは何を指すのか」といった概念を自分の外から見るような感覚を、現地にどっぷり2年浸かって養うんですよね。
視点という教養の名言/格言
観察期間が2年であるもう1つの理由は、1年目にノートを取りながらその社会サイクルを一通り体験し、それが特殊の事象なのか、毎年起きていることなのかを確認する必要があるからです。
視点という教養の名言/格言
参与観察ではインタビューも行い、その中で「これは毎年やっていることなのか」と聞きますが、それが事実かどうか。2年目に検証したりするのです。
視点という教養の名言/格言
血のつながりや肌の色にどれだけ重みがあるのかは、民族によって全然違います。人種というのは「欧米系の文化」であるというのは、文化人類学の見方です。
視点という教養の名言/格言
京都の鴨川のほとりに座っているカップルと別のカップルの距離を調べて「男女の共同幻想が保たれる最小限の距離」を調べたフィールドワークも過去にありました。きっとカップルの後ろを歩いて歩幅で計測したんでしょうね・
視点という教養の名言/格言
わからないままに何かを頼る心理状態は、疫病を収束させるために東大寺の大仏を作っていた頃と、実はそんなに変わらないのかもしれません。
視点という教養の名言/格言
「これをやれば儲かる」とわかっている時の状態の時は、会議はさほど重要ではありません。
視点という教養の名言/格言
反対に、何か変えないといけない、新しいものを生み出さないといけない段階では会議の重要性が増し、そこで本質的なコミュニケーションが取れるかどうかが、仕事の生産性を左右します。
視点という教養の名言/格言
エレベーターに乗ってきた人の動きを見るのも、興味深いと思いますよ。僕は学生たちに、通学のバスの中でどんな人がどんな風雨に乗っているかを、フィールドノートに取らせたことがあります。
視点という教養の名言/格言
バス車内の見取り図を書き、人が載っていたところにマークをつける学生もいれば、何時何分にこんな人が乗ってきた、と文章でひたすら書く学生もいて、実に多種多様です。見比べることで、どれが臨場感のある「いいノート」なのかがわかるようになります。
視点という教養の名言/格言
あるフィールドに入りたいけど入れないなら、「なぜ入れないか」をノートに取って、何が受け入れをブロックす流のか、その文化を研究してごらんと言っています。
視点という教養の名言/格言
自分たちの社会を俯瞰してみることで、「給料がないと生きていけない」などの固定観念を越えていける。現代の価値観が全てじゃないんだと気づかせてくれますね
視点という教養の名言/格言
自分が嫌だと感情で判断する前に、まずファクトとして受け取れるからです。初めからファクトを拒否している人も、多いのではないでしょうか。
視点という教養の名言/格言
一歩引いて「この集団はこういう価値観で動いているから、一定の確率でこんなタイプの人にも出会うな」と構造で捉えると、ちょっと気持ちが楽になります。
視点という教養の名言/格言
「仏陀」といえば、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタとイコールで使われがちですが、元々は固有名詞ではなく「悟った人、目覚めた人」という意味です。
視点という教養の名言/格言
「仏陀と阿羅漢は、悟っている内容は同じだが、まだ悟っていない普通の人間=凡夫を阿羅漢に導くことができる人が仏陀で、導かれた人が阿羅漢である」と答えてくれたのです。
視点という教養の名言/格言
「人を阿羅漢に導くことができるのが仏陀なんだから、お釈迦さま以外にブッダがいてもいいはずだ」と考えたのが大乗仏教です。
視点という教養の名言/格言
仏教を勉強していくと、とてもロジカルな東洋哲学だと思い知らされます。前提として生きているだけで苦しいという話をしていて、なぜ苦しいのか、釈迦は完全にロジックで開明している。「そうか、だから苦しいのか」と納得するんです。
視点という教養の名言/格言
でも、なぜ苦しいのかわかったところで、苦しいことに変わりはないですよね。そこで、身体性を伴った修行をすることで真理に到達すると考えるのが、仏教ではないでしょうか。頭で考えるだけでは、悟ることはできないと。
視点という教養の名言/格言
ギリシャ哲学でヘラクレイトスが「万物は流転する」と言っています。全てのものは移り変わっていく、その中で私というものが存在しており、その「私」さえも移り変わって行くというのは、仏教と親和性のある考え方です。
視点という教養の名言/格言
中観と唯識の考えにのっとると、「私」とは「『自分以外のあらゆるもの』ではないもの」です。つまり他者(自分以外のもの)が変化すれば、「それではないもの」としての自分も変化せざるを得ません・
視点という教養の名言/格言
私が「私である」と認識したものはその瞬間のことでしかなく、次の瞬間にそれは過去に落ちていく。全てのものが、次の瞬間には過去のものになっていきます。
視点という教養の名言/格言
「私」を含めた何か1つの存在は、それではないすべてのものに担保されている事実がある。これが、仏教の核心ではないかと思います。
視点という教養の名言/格言
「どこまでが自分で、どこからが自分でないか」を定義できないことと同じだと思うんです。
視点という教養の名言/格言
僕たちの体は、すべて原子でできています。もっと細かく考えると素粒子になりますね。他者と体を接触させると素粒子が交換されるらしいですから、僕と龍源さんが握手をしたら、どこまでが僕でどこからが龍源さんなのか。
視点という教養の名言/格言
すべてのものが合わさって初めて「イチゴパフェ」という名前がつき、そこに認識がのり、存在が確定する。これを「唯名論」といいます。ただ名前があるということです。
視点という教養の名言/格言
プラパンチャのの世界では、あらゆるものを言語的、時間的、概念的に固定しますが、それはそうしないと人間の生命活動に支障をきたすからです、でもそれは真理ではない。
視点という教養の名言/格言
そのプラパンチャの世界を超えた心理を、言語や概念を介さずに直感的に認識するのが悟った人のまなざしだというわけです。
視点という教養の名言/格言
つまり私たちは仮の存在で、ただ認識されて固定されただけに過ぎません。それなのに「私はこういう人間だから」と絶対視するから、そこから不自由や苦が発生するのだとお釈迦様は言っているんです。
視点という教養の名言/格言
つまり、何かに期待するから、失望、つまり苦が生じるということです。「こうであってほしい」と期待するけれども、目の前に現れている現象は、必ずしもそうじゃない。そこに人間は一喜一憂するのだ、とお釈迦さまは気づいたんです。
視点という教養の名言/格言
振られるという結論に至るには、その結果が現れる然るべき道筋、つまり原因があるのだから、それを認識すれば怒る必要はない。
視点という教養の名言/格言
お釈迦様は、自分が体験するすべてのことには、必ず自分の中に原因があるとも言っています。生きている以上、苦しみの原因が消えることはないけれども、苦しみへの結実を避ける方法を身につけましょうということだと思います。
視点という教養の名言/格言
どんな小さな物事であっても、すべては他者の存在によって成り立つ相対的なものであるから、それがそれとして永遠に存在することはありません。それが人であれば老いて死ぬし、物であれば劣化して壊れていく。
視点という教養の名言/格言
しかし私たちは何か気に入ったものがあれば、永遠にそれであってほしいと願ってしまう。変わらないでほしいのに変わってしまうから、あらゆるものへの執着が生まれ、苦が生まれるのです。
視点という教養の名言/格言
諸行無常の中では、所有の概念は「勘違い」だと書いてありました。あなたは「車を持っている」と思っているかもしれないけど、それも勘違いなんだと。
視点という教養の名言/格言
でもお釈迦様は結構お茶目なところがあって、「チヤホヤされるのが楽しければ、それでもいいんじゃない?」みたいなことも言っているんですよ。「それであなたの心と体に苦しみが満ちないのであれば、何してもいいんじゃない?っていう考えでもあるわけです。
視点という教養の名言/格言
確かに100年、1000年単位で見ると、冠のかぶり方はどうでもいいけど、人間は実際には1年、2年のスケールで1日1日を生きているんだから、執着する性質があっても仕方ないよねと。
視点という教養の名言/格言
社会のために良かれと思ってした行動によって、1000年後に地球が滅びるかもしれない。でもそれは、僕たちにはわからない。わからないのに、「人生を懸ける」となんて執着しているんです。それを、釈迦は「やめてみたら?」と言ってくれているんですよね。
視点という教養の名言/格言
「(人間が)すべてのものをコントロールできる」という姿勢が強いように感じます。ベンチャー企業かもよく「俺たちが世界を変える」っていうじゃないですか。
視点という教養の名言/格言
「コントロールできる」という前提で全てを語るのは、無理があると思うんです。ここに仏教の概念をプラスすると、「コントロールできないこともあるよね」と少し楽になれるんじゃないでしょうか。
視点という教養の名言/格言
鎌倉時代の歴史を語った「吾妻鏡」は、北条氏を「よいしょ」した書物なんですね。でもこれがないと鎌倉時代の研究は成り立たないので、「北条氏よいしょ」のスタンスを、僕たちは常に念頭に置いて読み、かつ研究しています。
視点という教養の名言/格言
発言者どんな立場でどういう主義の人なのかを把握した上で、どこを盛っているか、逆にどこを語っていないかを想像することが大切ですよね。
視点という教養の名言/格言
漫才でスターになるのはボケ役ですが、研究者に向いているのはつっこみタイプなんです。みんなが何の疑問も持たないところに、「これはなんでだ?」とつっこむ。くじ引きで将軍を決めることを「そんなことある?」と疑うことのできる人がいいんです。
視点という教養の名言/格言
疑い深いことに加え、粘り強い人がいいですね。要するにしつこい人です。1つの疑問についてずっと考え続けられる人が、深く、面白い答えに辿り着けると思います。
視点という教養の名言/格言
私たちが生きる現代社会はたくさんの情報を得られます。でも、ファクトがたくさんあるから良くて、少ないから悪いというわけではないんですよね。
視点という教養の名言/格言
ユダヤ教では、結婚や離婚は人間のことだから、神には関係ないと考えます。キリスト教もずっとそうだった。ところが教会で結婚式を挙げたいというクリスチャンが出てきて、教会も結婚に介入すると儲かることを発見したんです。
視点という教養の名言/格言
一神教とは、神に頭を下げることです。日本人は抵抗を感じる人も多いんだけど、それは一神教のキモをわかっていないからだな。一神教が神に頭を下げるのは、人に頭を下げないためなんです。
視点という教養の名言/格言
イエスの時代は奴隷社会でした。奴隷は主人に、庶民は権力者に頭を下げる。そんな社会で生まれたのが、「頭を下げるべきなのは神だけで、それ以外の人にはだげなくていい」という一神教です。つまり、神の前ではみんな平等なんです。
視点という教養の名言/格言
一方、日本には一神教の神様がいないでしょう?すると人は、時と場合に応じて人に頭を下げなきゃいけない。空気を読まなきゃいけないんです。
視点という教養の名言/格言
いろんな大人に会うことが、子供の成長にダイレクトに影響することを強く感じました。何かを教わらなくても「こんな人がいるんだ」と思うだけで、全然違うんですよね。
視点という教養の名言/格言
マークシート試験は、与えられた選択肢を消去法で減らしていく試験ですから、生徒たちは、小さなミスを見つける力を徹底的に訓練するのです。
視点という教養の名言/格言
何かに注意を払うというのは、その信号を高い精度で処理することだとわかっています。ですから、ある対象に注意をすると、その対象の細かなところまで感じ取れるのですが、逆にそれ以外のところは、相対的に無視されたような状態になります。
視点という教養の名言/格言
精神疾患をいまだに精神論で語る人もいますが、脳細胞の炎症なんですね。
視点という教養の名言/格言
特にうつ病では、感情中枢という感情をキャッチする部分の細胞が炎症することが明らかになってきました。
視点という教養の名言/格言
最近の研究で、脳がコップを持った時の感覚を予測していることがわかってきたのです。
コップをつかむ感覚が、ボトムアップ信号として筋肉から送られる。それを再現しようとするのがトップダウン信号で、2つの誤差が最小になればコップが取れると。
視点という教養の名言/格言
コップを持ったりペンを文字で書いたりといった通常の動作でも、最終的に全て反射を使っているとわかったことは、大きな発見でした。
視点という教養の名言/格言
たしかに。たとえば、自転車に乗れるようになるのも、イメージができるようになって、それを再現できるから運転できるってことですよね。
視点という教養の名言/格言
他者の動きや感情を理解することも、自分に置き換えて考えることですから、イメージの一種ですよね。つまりこれは、コミュニケーションにも関係してきます。
視点という教養の名言/格言
私たちは他者を見ると、相手も自分と同じ人間なんだと無意識のうちに感じます。これを「自他同一視」と言います。同一視するので無意識的な模倣が起こり、自分も相手と同じ状態を作る。
視点という教養の名言/格言
感情にせよ運動にせよ、自分が経験したものであれば、ミラーシステムが働きやすく相手に共感しやすいということですね。その意味でも人生経験を積むことは大切なんだなあ。
視点という教養の名言/格言
解説者の多くはフィギュアスケートの経験者だから、ミラーシステムが働いて運動を理解できるんです。つまりミラーシステムは、感情だけでなく運動にも関係しているのです。