私が本や日常生活から見つけた、他サイトなどではあまり紹介されていない名言/格言をご紹介します。
今回は作家 平野啓一郎さんの著書「私とは何か」の名言/格言です。
こちらは小説ではないのですが、人間関係に悩む人にとって「分人」という捉え方は。処方箋の1つになるのかもしれません。
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 <私とは何か《平野啓一郎》編>
私とは何か《平野啓一郎》の名言/格言
私とは何かの名言
対人関係ごとに見せる複数の顔が全て本当の自分である。
様々な人間関係において、それぞれ見せる顔や人格が違いますよね。それらのどれか1つが本当の自分なのではなくて、それぞれが本当の自分のうちの1つなのだと。
私とは何かの名言
個性というものは、その複数の分人の構成比率によって決定される
それぞれに対して見せる顔の構成比率の大きさによって個性が決まるもので、どれかだけが個性ではない。こういった考え方をするだけで、人を決めつけないで済むようになると思うんですね。
私とは何かの名言
個性の尊重が叫ばれるのは将来的に個性と職業をむすびつけなさいという意味
私とは何かの名言
職業の多様性は元々は社会の必要に応じて生じたもので、色々な個性の人間がいるからそれを生かせるようにと作られたわけではない
私とは何かの名言
彼らは、自らが感情移入した主人公が、自分の代わりに苦しみ、死んでくれることでむしろ現実を生きられたのではないか
私とは何かの名言
自傷行為は自己そのものを殺したいわけだはない。ただセルフイメージを殺そうとしているのだ。
私とは何かの名言
今の自分では生きづらいからそのイメージを否定して、違う自己像を獲得しようとしてる
私とは何かの名言
関係の深い相手との分人は大きく、関係の浅い相手との分人は小さい。すべての分人を足すと1になる
私とは何かの名言
悪い先生とはどの生徒に対しても教師としての職業的な分人だけで接する
私とは何かの名言
どんな生徒に対しても平等というのは同じ顔で接するということではない
人間関係における平等とはなんなのか。考えさせられます。
私とは何かの名言
私たちは尊敬する人の中に自分だけの人格を認めると嬉しくなる
私とは何かの名言
ロボットと人間の違いは今のところ分人ができないところだ
「今のところは」ですがね。
私とは何かの名言
八方美人は分人化の巧みな人ではない。むしろ誰に対しても同じ調子でいけば通じると高を括って、相手ごとの分人化しない人である。
人間関係の下手な人って、個人を見ていないことに起因していることが多いですよね。浅いカテゴライズをして、その人たちに一様で無難な接し方をする。でも相手を見ていないからそのコミュニケーションには大きな違和感が残り続ける。まずは高を括らない、「こういう人にはこんなもんでいいだろう」という相手を軽視しないことから始めないといけないと思うんですね。
私とは何かの名言
誰とどう付き合っているかで、あなたの中の文人の構成比率がかわり、それがあなたの個性となる
私とは何かの名言
貴重な資産は分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは自分という人間を複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべき
私とは何かの名言
わたしたちの人格そのものが半分は他者のおかげ
私とは何かの名言
あなたと接する相手の分人はあなたの存在によって生じたものである
私とは何かの名言
自分か世界かどちらかを愛する気持ちがあれば人間は生きていける。だけど俺はそのどちらに対しても、あのころ愛情を失いかけていた
私とは何かの名言
好きな分人が一つずつ増えていくなら、私たちはその分自分に肯定的になれる
私とは何かの名言
愛とはその人といるときの自分の分人が好きという状態。他者を経由した自己肯定の状態
相手という鏡に映された自分を見ているのかもしれませんね。
私とは何かの名言
その相手といる時の自分が好きか嫌いかということがおおきい
私とは何かの名言
見知らぬ他者は常に私たちの前に過去の分人化のプロセスを、トリミングされた形で出現する