私が本や日常生活から見つけた、他サイトなどではあまり紹介されていない名言/格言をご紹介します。
今回は「オードリー 若林正恭さん」の名言パート4です。
本や生活から見つけたここだけの短い名言<オードリー 若林正恭編④>
オードリー若林正恭【ナナメの夕暮れ】での名言
ナナメの夕暮れでの名言
若い頃は服がダサいと、本当にダサくなっちゃうけど、おじさんがダサいとなんだか楽しい。今は楽しいですよ
この言葉の意味が最近少しずつわかるようになってきました。本当に言葉にしにくいんですが、ダサさはダサさでなんだか楽しくなるんです。
ナナメの夕暮れでの名言
10背伸びすることは、10卑下することと、等身大の自分から10離れているという点で、同義だ。
アドラー心理学でいう「優劣コンプレックス」「劣等コンプレックス」のようにコトバや見た目は正反対に見えても、中身はほぼ同じってのは、人間社会ではよくあることです。自分の感情が本当に願うものなのかは自分に問う必要があるのかもしれません。
ナナメの夕暮れでの名言
ほんとうに人を愛するということは、『その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげる』ことだ。
「愛があるから」と言い子供にいろいろなものを買い与える人がいますよね。でもそれって本当に愛なんでしょうか。私にはそれは自分の自己満足のように映ります。魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる。自分がいなくなってその子が人生を見失わないようにすること。これほど大変なことはそうありませんが、愛するというのはそれほど大変なことなのかもしれません。
ナナメの夕暮れでの名言
人として大切なのは『演じないで生きること』それだと思う。
会社・友人・家族・学校・・・
いろんな側面があり、それぞれに見せる顔がある。それぞれで自分を演じすぎると、自分がわからなくなるし、自分が見えなくなってくる。どれだけ辛くても大変でも、本当の自分と向き合わないといつか他人の人生を生きてしまうのかもしれませんね。


ナナメの夕暮れでの名言
8年前のエッセイ1回目に「趣味なんていらない」ということを書いているんですよ。仕事があればと。でも8年間の終わりには「趣味がないと生きていけない」って書いてある。言っていることが全然違うじゃないかという。
どんな人間でも8年も経てば、考え方も変わります。8年前を振り返れば、恥ずかしい気持ちにもなりますが、今の思想を形成する上での基礎となるその時の自分を肯定することも次に進むための重要なステップなのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れでの名言
40歳になるので、いろいろ諦めることが多いんですよね。30歳ぐらいからテレビの仕事をいただくようになって、テレビの世界でも芸人の世界でもとんでもない天才にいろいろ会いますから。それで「諦める」とか「諦念」という文字をタイトルに使いたいなとずっと思っていて
まだまだ諦めきれていないんですが、前向きに諦めるそれの格好よさはなんとなくわかります。いつそこにたどり着けるかなぁ・・。
ナナメの夕暮れでの名言
みんな明日、仕事あるのかなと思っちゃうじゃないですか。でもキューバでおじさんがずっと話しているのを見ていると、気が合う人とただくだらない話をしているのが、けっこう人生のピラミッドでも上のほうのことなんだと思ったんです。
人が亡くなる直前に求めるものが、案外日常にあるものだったりすることとか。なんか僕らが「幸せ」だと思っているもの、思わされているものは全然上の方にはないのかもしれませんね。
オードリー若林正恭【あちこちオードリー】での名言
あちこちオードリーでの名言
いるんですよ、セカンドの7番っていう役割が世の中にはあって、そいつはセカンドで守備めちゃくちゃ上手いんです。でも、守備が上手いって褒める人がいない、ただ、エラーしたらめちゃ叩かれる
俺はね、その役回りをねやっぱコンプレックスだし、コンプレックスだったけど、腹括ってる、セカンド7番で死んでいく。
人生でもそう。会社でもそう。守備の上手い地味な人間って褒められないんです。そこにいるのが当たり前だし、エラーにならないのが普通だから。でも、そんな自分の特性を変えることなんてできないんですよ。いくら変えてもそれは上辺だけ。多分腹くくって自分の特性を受け入れて、いつかそれを肯定できる強い人間になる。そうできた時、人生はもう少し楽しくなるんじゃないのかな、と。