私が本や日常生活から見つけた、他サイトなどではあまり紹介されていない名言/格言をご紹介します。
今回は田中 泰延さんの著書「会って話すこと(田中 泰延) 」の名言/格言です。
コロナ化で人と話すことが以前ほど当たり前でなくなったタイミングがあったからこそ、話すことの意味を問えたのかもしれませんね。
会話と、それによって生まれる人間関係。
なにより会話によってわたしたちはどのように幸せになれるのか。
わたしたちは、なぜ、会って話をしてきたのか。
そんな話を始めたい。
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 <会って話すこと(田中 泰延) 編>
会って話すことの名言/格言
会って話すことの名言
文章を書く時の最初にして最後の心構え「正直であること」が、会話においても同じように重要ではないかという考えに至った。
会って話すことの名言
対話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っている知識や情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作るとった方がいいだろう。
会って話すことの名言
ツイストパーマ。全く想像できないですね。というかどんな髪型かも想像できない。逆に言えば、どんな髪型でも想像できる。
会って話すことの名言
すみません、少々お待ちいただくことをご了承願う気持ちもありながら、それをご承諾いただくことは可能だったりしますでしょうか?
会って話すことの名言
他人の話を聞くということは、ここまで注意されて訓練を積まなければできないことなのだ。これは「結局、人間は他人の話を聞きたくない」ということではないか。
会って話すことの名言
ほとんどの人が会うなり自分の事情を話し始める。
会って話すことの名言
モテる人、人望のある人、お金持ちの人、話をよく聞いて見てほしい。そういう人は、「この人、自分の事情ってないだろうか?」と思うような話題で会話をスタートさせている。
会って話すことの名言
ちょっとした「知っていること」を言えばいいのだ。相手を感心させようとか、知識をひけらかそうというのではない。
会って話すことの名言
なぜ人は勉強する必要があるのか?それは世の中の「おもしろい会話」「楽しく盛り上がる話」のほとんどが「知識」をベースにしているからである。
会って話すことの名言
そういう話を散々するのは、お互いのことを知ろうとするのは、付き合う前でしょう。いざ契約を交わした後は、「どうでもいい話」をするでしょう。仕事の愚痴とか、駅前で喧嘩してる酔っ払いのこととか。
これ改めて客観的に言われるまで以外と気づかないことですよね。関係性が深いほど、重要な深い話をしているもんだと思い込んでいたんです。でも、実際振り返ってみると、深くなればなるほどどうでもいいことしか話していない。一緒にいる時間が長ければそういうのが占める割合が増えざるを得ないというのもあるのかもしれませんが。ということは、関係性が深くなる人というのは、どうでもいいことをお互いに楽しく話せる人なのかもしれませんね。
会って話すことの名言
みんな、誰かのプロ並みの美声を聞きに行くわけじゃなくて、自分が歌いたいからカラオケに行ってるわけでしょう。
会って話すことの名言
つまり、多くの人は、本当は自分が相手に興味を持っていなくて、自分も相手に興味を持たれていないという現実を直視したくないんだと思います。
会って話すことの名言
「関係ありそうな、なさそうなこと」を話そう
会って話すことの名言
対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである。
会って話すことの名言
人は「意見」をいくら述べても賢くならない。また、人の意見に意見をぶつけても賢くならない。
会って話すことの名言
関係ありすぎる返しをする人は、偉そうと思われたり、喧嘩になったり、自体を面倒にする。関係なさすぎる返しをする人は、バカと思われたり、喧嘩になったり、事態を面倒にする
会って話すことの名言
ちょっとした知識や、「話はちょっとずれますが」で話を明後日に持って行く、話をそらす力が会話の力なのである。
会って話すことの名言
ボケとは、今目の前にある現実世界に対する、別の視点からの「仮設の提示」なのである
会って話すことの名言
実は、「ツッコミ」は漫才や落語などの「舞台演芸場の職務」であって、現実の会話には全く必要がない。
会って話すことの名言
「褒める行為」も「マウンティング」の一種だからである。
会って話すことの名言
それら上から目線の高評価は結局、「超つまんない」「くだらない」「おもしろくないね」などの裁定を下す行為とワンセットなのである。
会って話すことの名言
あなたが他人に対してすべきは、さらにおもしろくするように話をつなぐか、できそうにないなら「ただ笑う」それだけで良いのだ。
会って話すことの名言
理想の会話とは、ボケにボケが重なって、もはや何について語っているかわからなくなる状態であり、会話の参加者全員が「今、何の話をしてたんだっけ?」という状態になることである。
会って話すことの名言
生半可な知識を振り回さず、あまり知らない自分を、正直に相手に差し出そう。
会って話すことの名言
私が子どもに「しつけ」をしたくなる瞬間って、私の常識外の行動を取った時なんですよ。
会って話すことの名言
先生や親に言われたことを通して、「自分は社会常識を身につけたぞ」っていう子、知恵を持った子から、順番にツッコミに回っていきますね。
会って話すことの名言
人間が受ける印象や、相手に抱く好意というのは、要約できるような知見や知識や主張からくるものではない。むしろ細部にある。
会って話すことの名言
言葉を交わせば必ず傷つくっておっしゃったでしょう。「好きです」っていう言葉はその最たるものだなと。「私も好きです」という返答以外全て傷つきますよね。
会って話すことの名言
結局「絶対に会って話をしないとまずい」という人には何としてでも会っていませんか?つまり、オンライン時代というのは、人間が他人を区別していることがはっきりした時代なんですよ。
会って話すことの名言
人間が自分の顔を見ながら他人に話しかけることがあっただろうか。それもまた、妙な自意識につながって話しにくい原因の一つだ。
会って話すことの名言
ある人間に感じる人間らしさや、愛情の本質は、実は沈黙にあるのだ。沈黙する肉体の中で、人間の真の価値が育まれると言ってもいい。
会って話すことの名言
なにを言わないか、である。
会って話すことの名言
深いところで人間と人間とがつながる理由は、何の役に立つかわからないが抱えていた知識だ。自分が心から好きななにかであったり、自分自身の遠い記憶であったり、そんな遠い日の「仕入れ」が誰かの記憶と響きあうことなのだ。
会って話すことの名言
他人と話す前に、「自分と話せ」ということだ。まず、自分自身が自分と会話できなければ、他者と会話することはできない。
会って話すことの名言
「教養のある人物」を私なりに定義すると、「私は何も知らない。世界はこんなにも広くてわからないです。そして我々は最後は死んじゃいます。なので今、少し笑いましょう」と感じさせてくれる人ではないだろうか。
会って話すことの名言
自分と相手の間にある孤独。それを認めた時に会話は始まる。違う人と、同じものを見た時、二人の間に、何かが生まれる。
会って話すことの名言
ただ、自分の人生を振り返ると『その人といる時の自分が心地よい』と思える相手がいて、そういう人との会話はやっぱり幸せな時間になるんですよ。
会って話すことの名言
そういう『あなた』が持っている要素の一つが、『機嫌が良いこと』だと思うんです。だからこそまずは自分ができるだけ機嫌よくいたいんです。
会って話すことの名言
おかしいやつだなと思ってもらったほうが、不機嫌なやつだなと思われるよりはるかにいいんです。
会って話すことの名言
みなが不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分1人でもさっさと立ち去る。ことである。
会って話すことの名言
人との距離の取り方のおかしさの多くは『欲を出す』ことに問題がある
会って話すことの名言
やっぱり自分は一人で、どこまで近づけた気になっても違う人間で、いくら言葉を交わしても分かり合えない。
会って話すことの名言
他人と関わることに絶望して、それでも他人と関わりながらいきて行くことを引き受けた後で見えてくるものが、私とあなたの間にある風景だと思うんです。