今回はスラムダンクの作者でもある井上雄彦さんの漫画「バガボンド」の名言/格言です。ところでバガボンドの意味ってご存知ですか?
「一定の所にとどまるのをこのまず、てんてんと渡り歩く者。放浪者」だそうです。宮本武蔵のことのようでいて、現代を生きる人たちのことのようにも聞こえますね。宮本武蔵、剣士という媒体を通して、普遍的な人の生を問うバガボンド。天下無双を目指して戦い続ける彼らと、資本主義の現代社会。全く異質に見えて本質的にはほとんど変わらないのかもしれません。最新刊の発売が待ち遠しい「バガボンド」の名言から人生を見つめ直すきっかけを探してみてください!
『バガボンド』は、井上雄彦による日本の漫画作品。原作は吉川英治の小説『宮本武蔵』。
『モーニング』(講談社)にて1998年から連載されているが、2015年2月の掲載を最後に休載が続いている。2000年に第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第24回講談社漫画賞一般部門を受賞。2002年には第6回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。2020年12月時点で単行本の累計発行部数は8200万部を記録している。
剣豪・宮本武蔵を主人公とし、戦国末期から江戸時代の転換期、剣の時代の終わりがけを舞台にその青春期を描く。巨大な歴史の転換点で出世の夢が破れた武蔵が剣士として自己を確立しようともがく様、また巌流島で武蔵と決闘したことで有名な佐々木小次郎を筆頭とする武蔵と関わる複数の武芸者が描かれている。
吉川の小説が原作だが武蔵の実姉が描かれていなかったり、佐々木小次郎がろう者であったりとキャラクターや物語には井上独自のアレンジも加えられているが物語の大筋は原作通りとなっている。
題名の「バガボンド(vagabond)」とは“放浪者”、“漂泊者”という意味である。
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力<バガボンド編>
バガボンドの名言/格言
バガボンド名言
闇を知らぬものに光もまたない、と思うぞ。闇を抱えて生きろ。
闇を知らなければそれが光であることを認知もできない。対になるものは逆側の存在があることによって初めて存在できるんですよね。
バガボンド名言
見まいとすれば心はますますとらわれる
否定形って人間は意識できないと聞きます。
バガボンド名言
どこにも心を留めず、見るともなく全体を見る。それがどうやら見るということだ。
例えば、仕事や勉強で何か問題に直面したとき、特定の物やことにばかり意識が集中していると、問題の根本的な原因を見失ってしまうことがあります。しかし、どこにも心を留めず、見るともなく全体を見るようにすると、問題の全体像を把握することができるでしょう。そうすることで、問題を解決するためのヒントを得ることができるでしょう。また、人間関係においても、この言葉は役立ちます。特定の人物にばかり意識が集中していると、その人物の良い面ばかりに目が向き、悪い面が見えなくなってしまうことがあります。しかし、どこにも心を留めず、見るともなく全体を見るようにすると、その人物の良い面と悪い面を客観的に見ることができます。そうすることで、その人物をより深く理解することができるでしょう。
バガボンド名言
わかりゃせん 。負けを今一度見つめ直さぬうちはの
ありのままを受け止めてこそ、初めて一歩進めるのかもしれません。
バガボンド名言
海を泳いでいる最中には 海の広さはわからんよ
近づきすぎると見えなくなるものです。まずは自分が「海の中にいる」ということを認知することが第一歩なのかもしれません。
バガボンド名言
愚直は美徳ではない
日本では愚直や努力を美徳とする節がありますが、本当にそうなんでしょうか?そうでない生き方もあって当然。もう少し引いてみてみることも大切なのかもしれませんね。
バガボンド名言
吉岡清十郎を倒したんだ。もう少し嬉しいかと思っていたけどな。
夢や目標って到達してみると意外と拍子抜けするような感覚だったりするようです。ということは、外的要因を達成するというようなことは人にとってあまり重要なことではないのかもしれませんね。
バガボンド名言
どこまでいっても刀は刀。人を斬る為だけにある刃物。刃物として与えられた命を全うしてこそ美しいのですな。そこを忘れるとおかしなことになる。
バガボンド名言
刀を究極に美しくあらしめるためには、刀であってはならないような気がした
私たちは、それぞれに与えられた役割や使命を持っています。その役割や使命を果たすことで、私たちは初めて真価を発揮することができます。しかし、役割や使命を忘れてしまうと、私たちはただの存在になってしまいます。役割や使命に反した生き方をすることは、決して美しいとは言えないでしょう。
バガボンド名言
人より強くなろうとして人を斬るために剣をつくった
結果人は自ら強さを遠ざけたのでしょうか?
バガボンド名言
弱さを経ていない強さはないでしょう。
弱さを経験しなくても、強くなることは可能です。しかし、その強さは、表面的な強さであり、本質的な強さではないと言えるでしょう。本質的な強さとは、自分の弱さを知り、それを克服した上で身につけた強さです。このような強さは、どんな困難にも立ち向かうことができる、真の強さと言えるでしょう。
バガボンド名言
心を開いて受け止めるなら...この世の全ては美しくてもともと...
この世の全ては自分の心が決めます。あるのは感じ方だけなんですよね。
バガボンド名言
この世に強い人なんておらん,強くあろうとする人
おるのはそれだけ
バガボンド名言
認めてしまえありのままのお前を,修行はそこからだ
自分の弱さや欠点を認めなければ、それを克服するための努力をすることができないからです。自分のありのままの姿を受け入れることで、自分の弱さや欠点と向き合うことができます。そして、それを克服するために、修行に励むことができるのです。このように、自分のありのままの姿を受け入れることは、修行の第一歩であり、真の強さを身につけるための重要な要素と言えるでしょう。
バガボンド名言
強い人は皆優しい
自分の弱さと向き合い、たどり着く強さ。本当の強さとはそういう類のものなのかもしれません。誰よりも苦労したからこそ優しくありたいと思うのかもしれませんね。
バガボンド名言
いかにさやから抜かずにおくか,そのために我々は死にもの狂いで剣を振っとるのだ。
極めるとその行為自体をしないことにたどり着く。不思議な感覚ですが、究極とはそんな気もするのです。
バガボンド名言
過去は過去,今日のお前は今日つくるんだよ
バガボンド名言
弱さを経ていない強さはないでしょう?
バガボンド名言
描けば描くほど、進めば進むほど、見えてくるのは足りないものだったりする。
伊集院光さんも「勉強をするほどバカになる」という類のことを言っていました。しれば知るほどその物事の深さを知り、自分の無知さを痛感する。このループに終わりはないので、極めるとは恐ろしいことだとも思います。
バガボンド名言
脚が使えないことそのものより厄介な敵、それは目の前の敵ではなく、脚が使えないという自らの恐れ
バガボンド名言
外からの力によって、ありようは完全に決められ、それでも水は水。どこまでも水。完全に自由
バガボンド名言
みんな同じなら見えないのに異質なものがいると浮かび上がってしまう。だから追い出そうとして、それができないとわかると、嘲笑い下に見て線引きして隔てる
いじめってまさしくそういうことなのかもしれませんね。自分の弱さと向き合いたくないから排除しようとする。
バガボンド名言
自分だけのものと考えているなら命に価値はない
バガボンド名言
分を超えて受け取って、良いことはない
分不相応のお金や物を手にした人って大概不幸になってますよね。自分の器以上のものを手にしてしまうと、それは足かせになる。多くを得ることが幸福ではない。では自分にとっての幸福とは何なのか?
バガボンド名言
負けた者だって人間だぞ。どこかで自分を肯定しなくては生きていけねえ。
バガボンド名言
ただ真っ直ぐに一本の道を進むのは美しい。じゃが普通はそうもいかぬもの。 迷い、間違い、回り道もする。それでええ。
バガボンド名言
振り返って御覧。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、迷いに迷ったそなたの道はきっと誰よりも広がっとる。道が広がった分、おぬしは誰よりも人に優しくできる。
確実に遠回りなんですが、苦労した人が優しく素敵なことは誰の目にも明らか。苦労なぞしたくはありませんが、それもまたあなたを構成する大きな要素になっていたと後から気づくわけですね。
バガボンド名言
弱い者は己を弱いとは言わん。おぬしはもう弱い者じゃない。強くあろうとする者。
バガボンド名言
道を究めたなら刀は抜くまでもないもの。そう師に教わったよ。いかに鞘から抜かずにおくか、その為に我々は死に物狂いで剣を振るっとるのだ。
バガボンド名言
心が凝り固まっていては見えないものも、力を抜いて素直に見るといろんな顔が現れてくるでしょ。心を開いて受け止めるなら、この世のすべては美しくてもともと。
バガボンド名言
負け犬は負けを抱えてそれでも生きていくんだ。
バガボンド名言
動け 揺さぶれ 言葉を振り切れ 今のど真ん中にいるために
バガボンド名言
笑うのは人 恐れるのは自分 天は笑いはしない
バガボンド名言
逃げるなら逃げる 前に出るなら出る 徹しきることだ それが覚悟というものだ 徹しきれぬ者 それは弱き者
バガボンド名言
嫌いだよ俺のこのクソ弱さが みっともなくて 俺の嘘をひとつひとつはがしていったら 真ん中には何もねえ!! その空っぽを誰にも見せたくなかった
バガボンド名言
兄弟とは不思議なものだな。親子ほど密でなく、男と女ほど絡み合いもしないが、
弟が、もしも腕を切られたとしたら、俺の腕をもがれたように痛む
バガボンド名言
勝つべくして勝つ、そうなるために人を斬りまくる日々がある。その境地まで達したら、戦う前から勝っているなら、そのときは、戦いそのものは必要なのか?
バガボンド名言
たとえ親の顔を知らずとも、つながりを作っていくのが人生だろう、と坊主らしいことを言ってみる
バガボンド名言
猫も俺の師だ
ニャンコ先生だ
バガボンド名言
お前の頭ん中の「俺」、お前の頭ん中の物語、その物語こそがお前自身の姿を映してる
バガボンド名言
剣を己の人生の真ん中に置いていると、剣こそ全てと口にされる方はたくさんおられますが、本当の意味で剣こそ己と生きている人は稀。そういう人は余計な色がつくのを拒む。ただ己の色を深く濃くしていく。その色は美しい。その人の色、そして私はやはりそんな美の為にのみ研ぎたいのです。美しいならば、人を斬ってよいと思っているのも事実。
バガボンド名言
殺し合いの螺旋から、俺は降りる
私はこの言葉にハッとしました。現代社会では無限に成長を求められ、無限に新しいことを探し続ける。でもそれには終わりがなく、いつ誰かに取って代わられるのかと焦りながらも、必死にこの資本主義社会を生き続ける。努力や成長が美徳とされているわけですが、それって本質なのでしょうか?人はいつか死ぬ。生物はいつか死ぬ。別に生きることに意味があるわけでもないし、死ぬことに意味があるわけでもない。ただ生まれて死ぬまでを時間を全うする。ただそこにいていいのが生き物なんです。何かをするからそこにいていいわけじゃない。戦い続けることが生きることではない。その螺旋から降りるという選択肢が実はあるんです。