今回は「芸人」の名言/格言です。
奴隷が奴隷でありながら、いかに真の自由を手にするか――。
異色の古代哲学者エピクテトスから学ぶ、
不惑の生き方、考え方!マルクス・アウレリウス、ニーチェ、アラン、パスカル、夏目漱石、など、
古今東西、様々な立場の違いや時代を超えて、
多くの人々に影響を与え続けた「エピクテトス」。彼は、真の自由を得るために、
・「我々次第であるもの(自分がコントロールできるもの)」
・「我々次第でないもの(コントロールできないもの)」
の境界を明確に定め、
認識、欲求、人間関係の見方を正すことを説きました。本書では、彼の残した言葉から
その思想を読み解き、漫画とともにわかりやすく解説。◆感情に振り回されないためにはどうすべきか
◆人間関係に思い悩まないための考え方とは
◆自らの境遇をどう捉え、どう生き抜くか
◆真の意味で「自由に生きる」とはどういうことかその思想からは、人生の節々で感じる「生きづらさ」を解消するヒントが学べます。
そして、自分の人生について改めて考え直すきっかけともなるはずです。
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力 <人生の授業(エピクテトス) 編>
人生の授業(エピクテトス)の名言/格言
人生の授業の名言/格言
自由に至る唯一の道は「我々次第でないもの」を軽く見ることである
人生の授業の名言/格言
誰かを羨ましく思っても、その地位や名誉を最良でどうにかできるわけではない。にもかかわらず、他人の成功や繁栄を見て羨望の念を抱き、自分も目立ちたくなったり、不必要な競争に駆り立てられたりして、結果として自分が苦しむのは間違いなく愚かなことだ
人生の授業の名言/格言
真の意味で自由に生きるためには、こうした「われわれ次第でないもの」に囚われてはいけない。それが幸福への近道なのだ。
人生の授業の名言/格言
病気や死や貧乏を避けるならば、君は不幸になるだろう。
人生の授業の名言/格言
そこで「我々次第でないもの」は全ての忌避も対象から外して、その代わりに「我々次第であるもの」のうちで「自然に反するもの」に置き換えてみよ。
人生の授業の名言/格言
何がやって来ようと、それから利益を受け取ることはできる。
人生の授業の名言/格言
出来事が、君の望むように起こることを求めてはならない。むしろ、出来事が起こるように起こることを望みたまえ。そうすれば君は穏やかで幸福な生活を送れるだろう。
人生の授業の名言/格言
起こった事実は「我々次第でないもの」であり、我々にはどうしようもできないが、それをどう評価するかは「我々次第であるもの」なのだ。エピクテトスには、こうした「出来事は決してそれ自体として悪ではない」という強い信念がある。
人生の授業の名言/格言
雨は降ったけど楽しく過ごせたからよかった、今の仕事で大切な仲間と出会えたからこれでよかった、こうして自分の主観的な希望とは違う、いわば「第二志望としての現在」を受け入れる見方もある。「天職」といった発想はこちらから生まれる。まさに後者がエピクテトスの言う「善用」の道である。
人生の授業の名言/格言
明日のことは明日自らが思い悩む
人生の授業の名言/格言
「穏やかで幸福な生活を送れる」とは、元々は水が上から下によどみなく流れる様を表す言葉である。怒りや心配で心が煩悶することなく、人にも出来事にも自然に対処する。これがエピクテトスにとっての「幸福」のイメージなのだ。
人生の授業の名言/格言
ある料理がぐるりとまわって君のもとにやってきた。手を伸ばして行儀良く自分の分だけ取るが良い。通り過ぎてしまった。引き留めるな。まだ来ない。遠くから欲望を投げかけるな。君のところに来るまで待ちなさい。
人生の授業の名言/格言
ベイリーが飛びついたり、手に噛み付いたりしたら、完全に無視して、まるでそこにいないかのように振る舞うのだ。ベイリーが悪さをやめたらその瞬間にゲームを終わらせ、大袈裟に褒めて、おやつを与える。飛びついたり噛み付いたりしなければいいことがある、と教えるのが目的だ。
人生の授業の名言/格言
彼女はイルカの調教師から「最小強化シナリオ」について学んだ。イルカが間違ったことをしたら完全に無視するという方法だ。イルカの方を見もしない。誰も反応してくれない行動はそのうち消えていく傾向があるからだ。
人生の授業の名言/格言
「逐次接近法」と呼ばれるテクニックについても学んだ。どんなに小さな進歩でも、最終的に目指す行動に近づくものであれば褒美を与える。その次の小さな一歩にも、さらにその次な小さな一歩にも、褒美を与える。アシカがボールを鼻の上に載せる曲芸をマスターするまでそれを続けるのだ。
人生の授業の名言/格言
夫が洗濯物をカゴに入れたら「ありがとう」と言い、入れなかった洗濯物は無視した。すると期待通り夫が脱ぎ捨てる服の山は小さくなっていった。
人生の授業の名言/格言
人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である。
人生の授業の名言/格言
我々が妨げられたり、不安にさせられたり、悲しんだりするときには、決して他人を責めてはならない。むしろ自分たち、つまり自分たちの「考え方」を責めようではないか。
人生の授業の名言/格言
外界の事物や出来事はそれ自体として善悪いずれでもに。だから人間を苦しめるものでは決してない。それをどういった性質の事態として考えるか、その価値判断を下すのは我々の考え方次第なのだ、と。
人生の授業の名言/格言
「私自身の死」とは、常に可能性としてしか現れてこない。だからこそ自分の死は、年齢、健康状態、境遇、家屋関係、などを加味した自分の心構え次第で、恐怖にも、嫌悪にも、恩恵にも見えてくる。
人生の授業の名言/格言
モラリストのモンテーニュは、キケロを引いて「哲学とは死の準備をすることだ」と喝破した。
人生の授業の名言/格言
現在の自分の視点からの見かけを絶対視せずに、他にも別の見方があるかもしれないと想像し、検討してみること。多様な視点に思い至る想像力こそが、怒りを抑制し、他者に対して寛容な姿勢を育むことになる。
人生の授業の名言/格言
感情に溺れることは、他人が悪いように見えて、その実、自分の凝り固まった判断から逃れられないことであり、自らストレスの種を撒き散らしていることでもあるのだ。
人生の授業の名言/格言
君の杯が壊れた時にも、他人の杯が壊れた時と同じ態度を君は取らなければならない。
人生の授業の名言/格言
自分が当事者となると、一時的にせよ視点が凍りついてしまって動かせなくなるからだ。つまり、今の自分の視点からしか世界が見えなくなってしまうのだ。その結果、事物を冷静に見つめることができず、怒りや憎しみといった感情がもたげてくる。
人生の授業の名言/格言
出発点は、自分に関する出来事をできるだけ他人事のように捉えてみることだ。自分に起きた出来事を他人事のように考えると、感情の振れ幅は小さくなる。
人生の授業の名言/格言
愛着を寄せるものがあれば、これらが「そもそもどのような性質のものか」をあえて口に出していうように。
人生の授業の名言/格言
所有しているものは、初めから自分自身の外側にあるものだから、所詮いつかは失う可能性があるということだ。
人生の授業の名言/格言
「傷つけられた」と君が考える時、まさにその時点で、君は実際に傷つけられたことになるのだ。
人生の授業の名言/格言
どんな場合でも君が現に哲学者であるという事実で満足せよ。だが哲学者だと思われたいということまで望むなら、自分自身にそう思われるだけでよい。それで十分である。
人生の授業の名言/格言
人は行動する前に考えがある。"思うからする"のじゃ。他人がどういう思いでその行動に至ったかを知らないで、誰かの善悪を判断することはできないのじゃよ
人生の授業の名言/格言
当人の考えをきちんと識別しないうちに、それが本当に悪いかどうかを君はどこから知るのかね。
人生の授業の名言/格言
「我々次第でない」物事を手に入れようとして、他人と同じことをしないでいながら同じものを要求することはできない、ということを記憶しておくがよい。
人生の授業の名言/格言
君は食事に代わるものを何も持っていないというのか。そんなことはない、君は自分が誉めたくもない相手に愛嬌をふりまくことも、屋敷の入口にいる者どもの無礼を我慢することも、しないで済んだではないか。
人生の授業の名言/格言
おべんちゃらを言いたくない人におべんちゃらを言わない。媚びたくない人に媚びない。そんな意志の自由を持っているではないか。彼はそれと引き換えにこづかいを得たのじゃよ。
人生の授業の名言/格言
自分に渡されなかったお土産を誰かがもらっているとすれば、その人は、お追従であれ奉仕であれ、何らかの贈答や営業努力をしているはずだ。別の言い方をすれば、自分が土産をもらえなかったのは、もらえた人と同じような行動をとっていなかったからであろう。
人生の授業の名言/格言
一見、理不尽に思えるような待遇を受けた場合でも、このエピクテトスの考え方を思い出してみよう。誰かとくらべて不公平だと感じたとしても、自分は余計なお世辞を言わなくて済んだのかもしれないと考える。それで心が軽くなればしめたものだ。
人生の授業の名言/格言
一旦感情は脇において、事実を事実として受け止める。慌てて一喜一憂しない。その境地に至るための第一歩として、「他人も自分をも非難しない」というエピクテトスの助言を活用したい。
人生の授業の名言/格言
贅沢な暮らしに慣れて「舌が奢る」ようになれば、普通の食事では満足できなくなる。積極的に快楽を追求するのではなく、むしろ余計な苦痛を背負い込まないようにすることが、生涯にわたってできる限り快適生きることにつながる。
人生の授業の名言/格言
困難は困難として受け止めた上で、自分には何ができるかを点検する。それが「困難な事態に対処するために、君がどんな能力を持っているかを探し出す」ということだ。
人生の授業の名言/格言
死や追放や、その他なんでも「恐ろしい」と思える事柄を、毎日のように君の眼前に置くようにするがいい。その中でもとりわけ死を。そうすれば、君は決して卑しいことを考えたりしなくなるだろうし、度を過ごして何かを欲望することもないだろう。
人生の授業の名言/格言
だから、我々は自分の子供を産み育てることを通じて、後になってから自分の出生を推測し、また親を看取ることによって自分の終末を先取りして想像する。いわば、親しい家族や他者を通じて、自分の「生まれること」や「死ぬこと」を学んでいくのだ。