今回はオードリー 若林正恭さんの著書「ナナメの夕暮れ」の名言/格言です。
「ナナメの夕暮れ」から抜粋した短い名言や格言を通じて、若林さんの世界観に触れてみたいと思います。自分自身との向き合い方、人生の捉え方について、新たな視点を提供してくれるはずです。
オードリー若林の6年間の集大成エッセイ
「おじさん」になって世界を肯定できるようになるまで書き下ろし17,000字!「明日のナナメの夕暮れ」収録
恥ずかしくてスタバで「グランデ」を頼めない。ゴルフに興じるおっさんはクソだ!――そんな風に世の中を常に”ナナメ”に見てきた著者にも、四十を前にしてついに変化が。体力の衰えを自覚し、没頭できる趣味や気の合う仲間との出会いを経て、いかにして世界を肯定できるようになったか。「人見知り芸人」の集大成エッセイ。解説・朝井リョウ
人間に、変わらないことで
愛され続ける部分と
変わることで愛され始める部分が
あるとするならば、この本は、
後者の存在を強く示してくれる。
それは、どうしたって
変わりながらでしか生き続ける
ことのできない私たちにとって、
頼もしい光となる。
(朝井リョウ/解説より)
人生を豊かにするために、自分をもっと知るための短い名言/言葉の力<ナナメの夕暮れ編>
ナナメの夕暮れ(若林正恭)の名言/格言
ナナメの夕暮れの名言
若い頃は服がダサいと、本当にダサくなっちゃうけど、おじさんがダサいとなんだか楽しい。今は楽しいですよ
この言葉の意味が最近少しずつわかるようになってきました。本当に言葉にしにくいんですが、ダサさはダサさでなんだか楽しくなるんです。
ナナメの夕暮れの名言
10背伸びすることは、10卑下することと、等身大の自分から10離れているという点で、同義だ。
アドラー心理学でいう「優劣コンプレックス」「劣等コンプレックス」のようにコトバや見た目は正反対に見えても、中身はほぼ同じってのは、人間社会ではよくあることです。自分の感情が本当に願うものなのかは自分に問う必要があるのかもしれません。
ナナメの夕暮れの名言
ほんとうに人を愛するということは、『その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげる』ことだ。
「愛があるから」と言い子供にいろいろなものを買い与える人がいますよね。でもそれって本当に愛なんでしょうか。私にはそれは自分の自己満足のように映ります。魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる。自分がいなくなってその子が人生を見失わないようにすること。これほど大変なことはそうありませんが、愛するというのはそれほど大変なことなのかもしれません。
ナナメの夕暮れの名言
人として大切なのは『演じないで生きること』それだと思う。
会社・友人・家族・学校・・・
いろんな側面があり、それぞれに見せる顔がある。それぞれで自分を演じすぎると、自分がわからなくなるし、自分が見えなくなってくる。どれだけ辛くても大変でも、本当の自分と向き合わないといつか他人の人生を生きてしまうのかもしれませんね
ナナメの夕暮れの名言
8年前のエッセイ1回目に「趣味なんていらない」ということを書いているんですよ。仕事があればと。でも8年間の終わりには「趣味がないと生きていけない」って書いてある。言っていることが全然違うじゃないかという。
どんな人間でも8年も経てば、考え方も変わります。8年前を振り返れば、恥ずかしい気持ちにもなりますが、今の思想を形成する上での基礎となるその時の自分を肯定することも次に進むための重要なステップなのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れの名言
40歳になるので、いろいろ諦めることが多いんですよね。30歳ぐらいからテレビの仕事をいただくようになって、テレビの世界でも芸人の世界でもとんでもない天才にいろいろ会いますから。それで「諦める」とか「諦念」という文字をタイトルに使いたいなとずっと思っていて
まだまだ諦めきれていないんですが、前向きに諦めるそれの格好よさはなんとなくわかります。いつそこにたどり着けるかなぁ・・。
ナナメの夕暮れの名言
みんな明日、仕事あるのかなと思っちゃうじゃないですか。でもキューバでおじさんがずっと話しているのを見ていると、気が合う人とただくだらない話をしているのが、けっこう人生のピラミッドでも上のほうのことなんだと思ったんです。
人が亡くなる直前に求めるものが、案外日常にあるものだったりすることとか。なんか僕らが「幸せ」だと思っているもの、思わされているものは全然上の方にはないのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れの名言
何が正しいとか、優れているとか、そういうことじゃなくて、もっと自由に、素直に自分の好きなことに没頭できる人生が面白いんじゃないかって。そんなふうに、世の中の価値観が変わってくれば楽しくなると思うんですよ
正しいとか、優れているとか、そう言う社会的な価値で生きてしまうと、面白いことに出会う機会を失いますよね。今の社会は徐々にそう言う世の中になってきていますよね。だからこそ、自分の心と向き合って没頭していくことが大切ですよね
ナナメの夕暮れの名言
先に夢があるからこの仕事を頑張るという考え方を捨てた。今目の前にある仕事を紡いでいこうと
遠くを見据えて、今をないがしろにしてはいけないと言うことですよね。未来は今を紡いだ先にありますからね。
ナナメの夕暮れの名言
だから他人が少しでも楽しめることであれば、それは俺にとってのプロレスやアメフトだから、やっぱりナイトプールをバカにしちゃいけないと思っちゃったんすよね
他人にはわからない価値がそれぞれにあります。安易にそれを否定してしまうのは、自分の何かを否定してしまうことになるのかもしれません。
ナナメの夕暮れの名言
普通の人に10年くらい遅れて、いろんなことの気づきがくるのが自分の生き方だなって思うことがあります
生き辛い人は、遅れて気づく時が来るのかもしれません。その時には、本当に誰よりも生きやすくなるはずです。
ナナメの夕暮れの名言
やってみたら、なんでも面白いなっていう。否定するとやり始めないし、やってる人をディスっていると自分がその立場になれないじゃないですか。それは毎日を合理的に楽しむってことに対して、ちょっと邪魔だなと。狭めちゃうというか。
若林さんがこう言うんだから、きっと何にでもまずは飛び込んでみるって言うのは非常に大事なんでしょうね。
ナナメの夕暮れの名言
プレゼントって「その人のことが頭のなかにありました」ということの表明なんだって、初めて気づきました
プレゼントって何で贈り合うんだろうって思っていたんです。同じ1万円のものをそれぞれ送り合う。何の意味もないじゃないですか。まんまとマーケティングにはめられているんじゃないかと思っていたんです。でも、プレゼントがその人のことを思っていたと言うことを示すことだと思うと、すごい納得感があったんです。確かにプレゼントを買う時って買う相手のことを思っているじゃないですか。そういう意味だったら、プレゼントってすごく価値のあるものなんだなって。
ナナメの夕暮れの名言
自分の生き方を肯定したいがために立場の弱い人に講釈をたれるようなおじさんにはならないっていうことだけは、気をつけて生きようかなと思います
結局おじさんの話が長くなるのって、自己肯定を立場の弱い若者に自分を肯定してもらうためなんですよね。自分の話が長くなってきた時に本当に恥ずかしく、また悲しく思います。
ナナメの夕暮れの名言
梅沢富美男さんがゲストで来てくれたとき、頭に小銭を置いたままケツバットをして、小銭は落とさないって企画があったんです。「やらせてくれますか?」って聞いたら「おう、いいよ。やれよ」って言ってくれて、思いっきりケツバットさせてくれたんですよ。それで「楽しかったよ」って帰っていって。すげーかっこいいなと思って
こう言うかっこいいおじさんになりたいんです。懐の深い。ケツバットやられてかっこいいってどう言うことなんですかね笑
ナナメの夕暮れの名言
他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると自分の正解がだんだんわからなくなる
自分に嘘をつき続けていくと、自分の本当の声が聞こえなくなってきちゃうんですよね。
ナナメの夕暮れの名言
理想の自分は等身大の自分の上昇と共に更に上昇する
理想というのは青天井です。理想を追わないことがいいとは思わないのですが、本当にそうあるべきなのかは考えてみてもいいのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れの名言
今日の自分は本当の自分じゃない。自分というものはもっと高尚な人間なんだと言い訳をして今日の自分をないがしろにしてきた
今の自分と向き合えないうちは、本当の自分の人生とは出会えないのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れの名言
でもというな。飲みにくい意見も一度咀嚼して飲み込んでみろ
反射的に自分と違う意見を否定してしまう人っていますよね。私もその一人です。しかし、否定をしてしまってはせっかくの学びのチャンスが台無しです。まずはどんな意見とも向き合ってみることが必要なのかもしれませんね。
ナナメの夕暮れの名言
誰もやってないことに到達する前に自分の特性を経由していることに気づいた。相方は上から目線、自分はツッコミが冷たい
仕事とか人生においても自分の特性と向き合うことは非常に重要なことのような気がしています。
ナナメの夕暮れの名言
自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が他人への否定的な目線をやめるしかない。
他人を否定するとき、多くのタイミングで自分のことも否定しているんですよね。まずは自分を否定することをやめるしかないんですよね。
ナナメの夕暮れの名言
誰とでも合う自分じゃないからこそ、本当に心の底から合う人に会えることの喜びと奇跡を深く感じれた
なかなか人と合わせられない人の辿り着くべき場所ってここなんだと思います。他の誰よりも、合う人との出会いの価値に気づける人なんです。そしてその喜びを感じることができた時、人生は深まっていくのでしょうね。
ナナメの夕暮れの名言
若い子に批判精神は似合う。それをいっちゃおしまいよというのはおっさんの役目だ。
批判というのは若い子に課せられた一つの役割でもありますからね。でもいつまでもそうではいられない。それも踏まえてよりよく成立させるのが「おっさん」です。