私が本や日常生活から見つけた、他サイトなどではあまり紹介されていない名言/格言をご紹介します。
今回は「オードリー 若林正恭さん」の名言パート2です。
目次
本や生活から見つけたここだけの短い名言<オードリー 若林正恭編②>
若林正恭【ご本出しときますね】の名言
若林正恭の名言
愛があるところまでは笑う。結構人間って直感的に良いこと悪いことを判断してる。
同じことを言っていても、人によって笑えたり笑えなかったりするのも、根っこにある愛に起因している気がします。
愛があると言えない言葉ってもの多分ありますしね。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
没頭こそがネガティブに付け入る隙を与えない。掃除なんかもその類。
余計なことを考える時間があるからネガティブがそこにつけいってくるわけですよね。
とにかく没頭できる何かと一所懸命向き合っていれば、少しずつ変わっていくと思います。
「幸せ」というのは「没頭」の数だと書いてある書籍もあったほどです。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
説教された時、うるせぇなお前の歩いてきた道と違うんだよ。俺は俺の落とし穴に落ちて感じるよ
上司や年長者も「同じ過ちを犯さないように・・」と思って親切で言っているケースもあると思います。その逆もかなり多いですね。
まぁ真意はわからないにしても、落とし穴っていうのは落ちて見ないとわからないことも多々あります。論理的には当然言っていることはわかるのですが。
そして時代が移り変わっていく中で、現代ではその穴は埋め立てられていることもあります。
歳を重ねた時、落とし穴の危険性は伝えつつも、若い子を落とし穴にハマらせてあげられる深い懐を持てるようになりたいものです。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
ハロウィンの変装などになにかおもう時、上に立った気でいないか
一見意味のなさそうなもの、大人になるとやらないこと、ついつい人はあざ笑ってしまったりします。人生に正解はない中で、本人が本当に心から楽しんでいるのなら、もうそれ以上の正解はないはずのなのに、私たちはあざ笑ってしまいます。それはなんだかその人たちを下に見ることで、上に立ち安心したい自分がいるのかもしれないですね。少なからずそういう感情になり自分を客観視できるくらいの視点は持っていたいものです。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
この世に存在する理由は2つあって、1つは何かをしているから存在していいということ。2つ目は生まれてきたらなんの理由もなくこの世界に存在していいということ。
学校・仕事・社会・コミュニティ・・
どんなところでも何かと「結果」や「成果」などをもたらすことを求められます。資本主義社会では仕方のない側面なのかもしれませんが、それだけに縛られていては「生」を見失ってしまいます。私たちはただただそこに「居て」いいのです。ただ居ることが生物として生まれてきた私たちの生きる意味だからです。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
意味がないからこそせっかくだから楽しいことをするのだ。
生きることに意味なんてありません。なぜか生まれていつか死ぬのです。意味がありそうにも思えますが、どんな偉人であれ、生きて死ぬのです。地球や宇宙の単位で言えばなんのことはありません。意味がない人生だからと、諦めてしまうのではなく、せっかく意味のない人生を今生きて居るのだから、最大限楽しんだ方がお得ですよね。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
強い人である反面、それを口に出さなくてはいられない臆病で繊細な人
自身の主張を繰り返し、それを曲げず、意志の強そうに見える人。
でも本当に強い人というのはそれを他者に主張する必要があるのか。考えさせられます。
若林正恭【社会人大学人見知り学部卒業見込】の名言
若林正恭の名言
なぜかというと、テレビに出てお金をある程度もらえれば幸福になれると僕が信じていたからだ
人生の大きな目標を立てて、そこを目指しますよね。そんな時「そこに到達すれば幸せである」そんな感覚があると思います。じゃあ目標を達成してきた人たちはみんな幸せだったのでしょうか。逆に目標に到達できない人たちは皆不幸なのでしょうか。発展途上国に生まれた子たちは皆不幸なのでしょうか。「ある状態になることで幸せになる」という思い込みから早く卒業しなければ次には進めない気がしています。