会社や組織に掲げられる言葉というのは往々にして非常に綺麗で抽象的です。私はそんな言葉たちへの納得感をどのように持つかに苦しんできました。
なぜ苦しかったのか?「理想」よりも「現実」が大事だと思って生きてきたためです。というよりは、私にとって生きるという行為は凄く大変だったので、そんな遠くの夢を語るよりも、なんとか今目の前を少しでも楽しく生きるということしか考えられなかったんですね。
そんな私に会社から向けられた「誠実」という言葉。ある種自分のテーマのような言葉です。でも、どうやら会社で使われている言葉は私の使っている意味とは違う。そもそも私の中での「誠実」とはなんなのか?そんなことを考えるきっかけになったので。生きづらさを感じてきた人の助けに、少しでもなればと思っております。
「誠実」の意味を確かめよう
「誠実」とは
① まごころがあっていつわりがなくまじめなこと。また、そのさま。
② ほんとうであること。また、そのさま。
多分①のイメージなんですが、う〜ん・・なんか解像度はあがりませんね。次は「まごころ」と「まじめ」を見てみます
「まごころ」とは
真実の心。偽りや飾りのない心。誠意。「—のこもった贈り物」「—を尽くす」
「まじめ」とは
①うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「—な顔」「—に話をする」
②真心のあること。誠実であること。また、そのさま。
なんと「誠実」の解説で使われていた「まじめ」とは「誠実であること」だそうです・・!w
とはいえ、この3語をみていくと「偽りがないこと」「飾らないこと」「真剣であること」このあたりの意味合いを含んだ抽象的な何かのようです。
「何に」誠実なのか?
「誠実」という言葉が少しわかってきたところで、次の疑問として「何に対して」誠実でいるべきなのでしょうか。例えばこんな風に思うかもしれません。『仕事における「誠実さ」の話なんだから「会社」に対して誠実であるべきなんじゃないの?』でも、会社には実態はないので、それは何に向けられるべきなのでしょうか?会社に属する人全てに対してでしょうか?
ではこんな例ではどうでしょうか?あなたがマネージャーだとして、
半年後に大きな変革が起きる。社内への周知は3ヶ月後で基本的には言ってはいけない。でも、直近の動きは全て無駄になる。部下はそれを知らないことで、無駄な3ヶ月を過ごすことになる
こんな時、上司に誠実でいるのなら「言わない」ことが「誠実」かもしれません。部下に誠実でいるのなら断片的にでも「言う」ことが「誠実」かもしれません。漠然と全てに誠実でいると言うのは不可能なのです。
「何に」誠実でいるべきなのか?
とすると、誠実さを貫くには、誠実である対象を定めなければならないことが見えてきます。
結論だけ申し上げますと
過去の自分に対して誠実であるべき
と考えます。
「過去の自分に誠実でいるべき」理由
こんなことは、言うまでもないことですが、人は全員違います。求めるもの、答え、考え方、何から何まで全部違います。とすると、共通の正解なんてものはありえませんし、先ほども申し上げましたが、誰に対しても誠実なんてのもありえないんですね。正解はないと。
ただ、一つ考えておくべきは、なぜ「誠実」でいるべきかと言うことなんです。これについては少し抽象的ですが「少しでも、1つでも、よくあろうとする」ためだと思うんです。何かをよくできると期待するから、「誠実であれ」と言うわけですよね。誠実じゃない方が良いことが多いならそんなこと言うわけないのですから。
「1つでもよくするために、誠実でいるべき」と言うことは少しでも何かが良くなるように対象を選ばなければならないわけです。じゃあ「会社のメンバーが困っていそうだから、部下に誠実でいればいいわけですね!」と思うかもしれません。しかし、先ほども申し上げましたが、人は全員違います。当然ながら求める答えも違います。同じ部下であっても、求められる誠実のあり方も違います。外側にある抽象的な何かに正解や定義を置き続ける限り、結局のところどこにも辿り着けないのです。
では「確実なもの」とはなんでしょうか?それは「自分自身が感じてきたこと」だけなのではないでしょうか。自分自身が感じてきたこと、コレだけは誰がなんと言おうと確実に存在することです。そして過去の自分の感じてきたその感情に誠実であり続けることで、少なからず自分は救われるし、たまたま同じ思いを持った人がいるとすれば、きっとその人を救うことができます。そして、そんな人には、決して言語化しきれないような「魅力」や「一貫性」を感じ、人は心を許し、表層的には「誠実には見えない」行動だとしても、その深い判断軸に人は「誠実」であると感じるのかもしれません。
まとめ
生き辛さ、あんまり関係なくない?と思われたかもしれません。実はものすごく重要なファクターなんです。葛藤が多くて、人の目を気にしてきたあなただからこそ、自分自身を救うことで、非常に多くの人を救える可能性があるんです。
あの時理解されなかったこと、わかってもらえないこと、言語化しきれないモヤモヤが辛かったはずです。でも、ほんの少しでも、部分的にでも共感してくれる今のあなたがいるのなら、とてつもない喜びがあったと思うし、それだけですごく楽に生きられたと思うんです。
だから、過去の自分が「受け入れてくれる」「喜んでくれる」「がっかりしない」そこだけに誠実であれば、いいと思うんです。確実に自分も救われるし、たまたま救われる誰かもいる。そんなんでいいんじゃないですかね。
余談
私は自分が際立って不遇だったとは思いません。しかし、生き辛いものは生き辛い。そんな葛藤があった時にどこかに答えがあるのではないかと思い、自己啓発本、心理学、哲学など様々な本を読んでみました。素晴らしい本もたくさんあったのですが、当時の私はあまり救われません。
そんな時に聴き始めたオードリーのオールナイトニッポン。いろんな考え方があるんだなぁと言うこと、なんか妙に共感してしまうことが多かった印象を今でも覚えています。しかし、タレントのエッセイを軽んじていた私。「タレントはタレントとしてのスキルを売っているわけで、それと本が面白いのは別」と言うとんでもない固定観念を持っていました。笑
しかし、そんな固定観念の中でも、ラジオ面白いから一度見てみてみるかと思った
「社会人大学人見知り学部卒業見込」
本当に衝撃を受けました。「自分の悩みが書いてある・・しかも自分の5倍以上拗らせてる・・!」と。
そして次の2作で葛藤しながらも、その感情と向き合い乗り越える・・?へたなりに付き合っていく・・?そんな様が僕に未来を見せてくれたのです。
「自分の葛藤で人を助けることもできるんだ」と強く感じた瞬間でもありました。
影響を受けた言葉をご紹介しておりますので、もし宜しければこちらの記事もご確認ください。